雑記01:仮想通貨の話とか
もうちょっと雑にブログを動かしたい気がしてきたので、メモ代わりの雑記。
今週は研究に進展があったので嬉しい。火曜の夕方以降は、自分のテンションが少し高くてキモかったかも。
ただ、そのぶん今月は研究のための文章ばかり読んでいて、趣味の本が全然読めなかった。年末は、おもしろSFでも読んでゆっくりしたい。
〇ビットコインの話
ここ数か月ビットコインの話題をよく聞くし、自分も気になっている。ただそれは、投機対象としてではなくて、これから世の中のお金がどうなっていくのかについての興味。今現在ビットコインはほとんど使用はされていないようだけど、これが普通に使用されるようになって、貨幣が電子上のものになり、国家が管理するものではなくなったらどうなるのかが気になる。仮想通貨が当たり前になったとしたら、それはやはり名目貨幣説の勝利なのだろうか。
ドルせよ日本円にせよ国家が価値を保証してくれているわけで、ビットコインにはそうした価値を保証してくれる権威がない。電子マネーが利用できるようになれば非常に便利なのだろうけど、それは直ちに「国民国家」の弱体化に繋がるだろうと思う。グローバル化と言えば聞こえは良いけど、国家の通貨管理が特権的でなくなるのは、国の在り方がかなり変わってくる可能性もあるんじゃないかと思う。
(いずれにせよ国家という「想像の共同体」がゆるやかに解体されていく流れは止められないだろうけど、それがどの程度のペースで進むかはわからない。以外と差し迫っているかもしれないし、100年スパンの時間がかかるのかもしれない。中田考なんかは「領域国民国家」を「リヴァイアサン」として諸悪の根源としているけれど、際限なき競争が生まれてしまうようにも思う。国家なき競争が生まれたら、「お上」以外の連帯が弱い日本人は辛そうという印象)
ところで、仮想通貨は採掘(マインング)を価値の根源としているようだけれども、自分にはこれが、マルクス経済学的な労働価値説のヴァーチャルな復活のようにも思える。マルクスは、価値を生み出す労働の本質を筋肉労働と考えたわけだけど、そうした筋肉労働のようなものが電子上で行われているのが面白い。
実際にビットコインを金本位制+労働価値説で理解しようとする論調もあるみたい。
個人的には、何か世界に付加価値を与えているという実感の無い金儲けには手を出さないと決めているので、マネーゲーム的になっている今のビットコインはやらないようにしている。
このポリシーは株式についてもそうで、「この企業を支援してウィンウィンの関係を築きたい」と考えて株をやるのはアリだけど、マネーゲームにしちゃうのは止めておこうと思っている。
しかし、中国の例をのように、電子マネーが当たり前になる時代はすぐそこまで来ているようにも思うし、その国家を媒介としない形態が普通になるのも、案外簡単に実現しちゃうんじゃないかという気もする。
藤井四段がデビューしてからの将棋界
今日、藤井四段からデビュー以来無敗の29連勝を達成して、連勝記録歴代単独一位になった。
前人未踏の素晴らしい記録だ。
しかし、将棋ファンとして個人的に、この記録はつまらない。
藤井四段がデビューしてから、将棋界はつまらくてしょうがない。
この先10年は、将棋界は藤井聡太四段の独り舞台だろう。
競馬のレースにF-1カーが参戦しているようなものだ。
藤井聡太に比肩するライバルは現れず、将棋は「藤井が最後に勝つゲーム」になるだろう。
もちろん、今まであまり興味を持っていなかった人たちが、将棋に関心をもってくれるのは、一人のファンとしてとてもうれしい。
しかし、この藤井独り勝ちの展開は、将棋界の勝負を楽しみたいファンにとってはおもしろくない展開なのだ。
つまり、単純にライバルがいない。
なぜライバルが現れえないのか、藤井に対抗できる棋士が現れないかは、AI将棋の事情とも関連させて次の記事で書くとして、ここでは将棋界がつまらなくなった理由を話したい。
羽生にはたくさんのライバルがいた。
まずは森内俊之九段。
羽生と同学年で、小学生のときに将棋大会の決勝で羽生と戦って破れ、羽生に2年遅れてプロになるも、羽生よりも先に「永世名人」になった大棋士だ。
羽生と森内の間には数々の熱いドラマがある。
ほかにも佐藤康光九段、藤井猛九段、深浦康市九段、郷田真隆九段、丸山忠久九段など、羽生世代には名だたる大棋士たちがいる。
この羽生世代が40代半ばに差し掛かり、衰えが見え始め、次に棋界の覇権を握るのは誰なのかと群雄割拠の時代になっていたのが、ここ最近の将棋界だった。
羽生世代に対して、何人もの個性ある若手棋士が対抗して争っている将棋界が好きだった。
そこに颯爽と現れたのが藤井聡太だった。
その後の活躍は周知の通りである。
デビュー以来無敗の29連勝は凄い。
凄すぎる。
しかも、その多くが圧勝であり、しかもデビュー以来もの凄いスピードでさらなる成長をとげている。
これから、群雄割拠だった将棋界に君臨し、他の20代の若手棋士たちを足元にも寄せ付けないほど蹂躙していくのは、ほぼ間違いないだろう。
いつかは連勝が止まるにせよ、このまま行けば勝率9割越えになっても不思議ではない(年度勝率の歴代記録は0.8545)。
おそらく最年少タイトルも取るだろう。
今年タイトル戦に昇格した叡王戦を含めた8大タイトルを総なめにし、羽生善治を越えて史上初の八冠制覇を達成するのも時間の問題のように思われる。
そして藤井四段のライバルは少なくとも数年は現れない。
藤井四段が若すぎるのだ。
今日対局した増田四段も、16歳でプロ入りした19歳の若い天才だが、それでも藤井四段より5歳も年長だ。
それに、奨励会(プロになる前の育成会のようなもの)の二段以上に、藤井四段と同世代の棋士がいないのだ。
初段以上こそ藤井四段と同世代がいるが、その世代が四段になってプロになるのは早くても18歳前後だろう。(20歳までにプロ入りできれば、プロの中でも相当に優秀な方なのだが。)
つまり、あと10年くらいは、藤井天下の牙城に迫りうる棋士が現れない可能性が高い。
それこそ、羽生三冠(46)に対する渡辺竜王(32)くらいの年齢差になることもありえる。
それまでは、藤井聡太一人の天下だろう。
あと10年間はずっと、将棋は「藤井が最後に勝つゲーム」になる。
「藤井が最後に勝つゲーム」を観てファンは楽しいだろうか。
僕が見たいのは、どちらが勝つかわからないギリギリの攻防なのだ。
そして、どの若手棋士も、努力次第で平等にトップに立てる可能性を持った世界を見たかったのだ。
「特別」がただ一人にしか許されない世界に、凡人の自分はどんなロマンを感じたらいいのだろうか。
藤井四段がこれ以上勝ち続けるなら、将棋界は、僕にとってどんどんつまらないものになっていくだろう。
そうならないためにも、どうにか他の棋士に頑張ってもらいたい。
牡蠣の燻製を大量に作るライフハック
牡蠣の燻製がおいしい。
本当においしいのだ。
寒いのが本当に苦手で、早く春になってほしいが、牡蠣の燻製が作れなくなるのは嫌なので、もうしばらく冬でいてくれてもいい。そう思うくらい牡蠣の燻製がおいしい。
炬燵に入って作った牡蠣の燻製をパクパクしながらウイスキーを飲み、アマゾンプライムで『ぼくらベアベアーズ』なんかを観ていると、それだけで世界から無限に愛されているような気分になってしまうくらいうまい。ボンクラ感はすごいが。
牡蠣の燻製は、オリーブオイルに浸して冷蔵庫にいれておけば軽く1か月くらいはもつので、大量に作っておけば保存食としても便利。
ウイスキーをはじめとしてワインや日本酒なんかにも合うおつまみになるし、バゲットに載せればそれだけでごちそうになる。茹でたパスタに絡めるなどして料理に使ってもいい。パルメザンチーズを振りかけるとまた濃厚な味わいになる。
そんな牡蠣の燻製だが、意外と作るのは簡単。
牡蠣を茹でて下味をつけてササッと燻すだけ。
時間はかかるけれど、待ってるだけの時間が長いので、休日に本でも読みながらのんびり作れば体感の時間はそれほどでもない。
ほとんどこれを参考にして作っているだけなんだけども。
ただ、動画ではおそらく温燻(30~80度で燻製)しているけど、熱燻(80度以上で燻製)でも問題なくおいしかった。熱燻のほうが手軽なので、燻製に慣れていないうちは無理に温燻にしなくてもいいと思う。
作り方はこんな感じ。
○材料
・牡蠣 1キログラムとかそのくらい
(スーパーに売っているものだと「生食用」よりも「加熱用」のほうが肉厚で良いと思う)
・ソミュール液
水 500cc
塩 大さじ3
砂糖 大さじ3
ローリエ 2枚
セージ 小さじ半分
白コショウ 小さじ1
動画ではサドンデスソースをちょっと入れてピリ辛にしていた。
・まずソミュール液の材料を混ぜて小鍋で沸騰させ、ひと煮立ちしたらよく冷やしておく。
三温糖を使っているので茶色っぽいが、上白糖ならもっと透明だと思う。
・牡蠣は身が崩れないよう注意しながら、ぬめりが取れるまで丁寧に洗い、5~6分ほど茹でる。
熱燻にする場合はあとで十分に加熱できるので、ほとんど茹でなくてもいいと思う。茹でるすぎると身が縮んじゃうので。
動画では牡蠣の茹で汁を捨てていたが、それはあまりに勿体ないと思う。残った汁もおいしくて栄養価が高い。茹で汁の灰汁をとって出汁・酒・みりん・醤油あたりで適当に味付けをして、ネギ・生姜・大根・シイタケあたりの具材を入れて煮てやるだけで幸せになれる。味付けと入れる具材はなんでもいいが、牡蠣の臭みが気になる場合は酒と生姜はあったほうがいいと思う。
・牡蠣の水気を切り、冷ましておいたソミュール液に2時間漬ける。
・水気をよくふき取り、風にあてて乾燥させる(風乾)。
屋外で乾かすのが難しい場合は、扇風機をあてると早く乾く。ないならドライヤーでもいい。
乾かすのが不十分だと仕上がりが酸っぱくなっちゃうので注意。
・なるべく低い温度で燻煙する。
燻煙時間は温燻なら1時間、熱燻なら30分くらいだろうか。
使うチップはサクラかヒッコリーあたりが無難だと思うが、ウイスキーオークを使っても絶対おいしいと思う(まだ試してないけど)。
温燻にするならスモークウッドを使うのが便利。
これは中華鍋で熱燻しているところ
・オリーブオイルにドボン。
3日経ったくらいからうまい。優勝。
左が温燻した牡蠣で、右の茶色っぽいのが熱燻した牡蠣。
温燻のほうはしっとりしていて味・香りがまろやか。熱燻のほうはやや香りが強め。
今回温燻したほうはもう少し燻煙時間を長くしたほうが良かったかもしれない。
大人になること
誕生日だ。
20歳を越えてから誕生日はあまり嬉しいものではなくなってきた。
自分の前に広がる可能性が、部分的には、少しずつ狭くなっているのを感じているのかもしれない。
大正時代くらいまでは数え年が一般的だったから、正月と一緒に歳が増えるのを祝うことができたのだろうけど、満年齢での誕生日を祝う理由は、やや薄い。
ちなみに、僕が大好きな山下和美の漫画『天才 柳沢教授の生活』には、60歳前後の大学教授2人が「なぜ人は誕生日を祝うのか」について延々議論するだけの回がある。最高。
小学生のころは、中学生がものすごく大人に見えていたはず。
誕生日になると、そういう懐かしい感覚を思い出す。
もちろん、今は中学生がまだまだ子供だということを知っているし、中学生のころの自分は今よりずっと幼かった。
でも、20歳を過ぎて中学生の頃よりはマシになったとはいえ、自分が大人になれているのかは疑問だ。
20歳を過ぎたというのに、自分が大人になったという実感がほとんどわかない。
そういうわけで、「いかにして大人になるか」ということを、ちょくちょく考えるようになった。
今更になって、大人はこうだとか、子供はこうだとか考えているのはすごく恥ずかしいのだけれど。
20歳になれば、自然と大人になるのかと、何となくそんな風にずっと思っていたけど、全然そんなことはなくて、いまだに子供のままの自分に愕然とする。
今まで成熟だと思っていたものは、本当の成熟じゃなかった。
年齢を重ねて「こういうときにはこうする」といったテンプレートのデータベースは昔より充実してきたかもしれないけど、それは本当の成熟じゃない。
自分は、まだ全然成熟できていない。
そんな中で読んだ内田樹の文章はおもしろかった。
つまり、「成熟した市民」というのは「飢餓ベース」「貧窮ベース」で、「子ども」は「安全ベース」「飽食ベース」であり、資本主義社会は大量消費をする「子ども」を要請し、日本は「子ども」ばかりになったというのだ。
「「成熟した市民」は、その定義からして、他者と共生する能力が高く、自分の資産を独占せず、ひろく共用に供する人間だからである」という部分はよくわからないし、他にもツッコミどころはあるだろうが、次の部分はわかる気がした。
「子ども」たちが「子ども」であるのは、実は長い歳月のあいだ「子ども」しか見たことがなく、成熟のロールモデルを知らないからである。
申し訳ないが、親も近所のおじさんおばさんも学校の先生もバイト先の店長もテレビに出てきてしゃべる人たちも、みんな「子ども」だったのである。
「子ども」以外見たことがない人がどうして「大人」になれよう。
この部分を読むまで、自分をとりまく社会自体が未成熟な可能性を考えていなかった。
「大人」になろうとしても、周りの大人たちが「大人」じゃなければ「大人」にはなれないのは当たり前だ。
最近、大人だと思っていた人や世界が、ひどく子供っぽい、未成熟なものだった例をいくつも見たり聞いたり読んだりしたので、なおさら腑に落ちるところがあった。
とはいえ、「周りの人たちはもっと成熟しろ」みたく考えるのは、それこそ啓蒙みたいなレベルから抜け出せないようにも思う。
もし仮に周りの人たちが「子ども」ばかりなら、その中で身を処していかなきゃならないし、その中で自分は何とか「大人」になる必要があるのだろう。
そんなことを考えながら『天才 柳沢教授の生活』を読み返して、誕生日の夜を過ごしている。
柳沢教授は、僕にとっての中学時代からずっと「成熟のロールモデル」だったと気が付いた。
『白馬のお嫁さん』『消滅世界』――男性の妊娠
『白馬のお嫁さん』(庄司創)の最終三巻を読んだ。
良いSFラブコメだった。
庄司創作品ということもあって頭でっかちなのだけれど、『勇者ヴォグ・ランバ』あたりに比べると今作は良い感じに肩の力が抜けている。
ただ、あっという間に終わってしまった感じはあって、「産む男」の設定でもっといろいろ描いてほしかったなあという気持ちもある。
『白馬のお嫁さん』の魅力はユートピア的な近未来を描きながらも、問題意識と批評性がしっかりとその根幹になっているところだろう。
この点は、これも最近読んだ、男性の妊娠を露悪的・ディストピア的に描いた村田紗耶香の『消滅世界』とは好対照だ。
『白馬のお嫁さん』と『消滅世界』。両者の問題意識はかなり違うところにありながら、しかし、どちらも作中で「男性の妊娠」が「希望」となっているのがおもしろい。
『白馬のお嫁さん』では男性のバラエティとして、『消滅世界』では共同体全体で子供を産み育てる合理性のために。
描かれ方は違うけれど、読んでいると本当に男性の妊娠は希望なんじゃないかとも思えてくる。
少なくとも、今目指されている方向での男女平等を成り立たせる一番てっとり早い方法なんじゃないか。
夏コミのお知らせと、星雲賞コミック部門半分くらいレビュー
まずは、僕が所属している京大SF・幻想文学研究会が夏コミ(C90)で頒布するやつの宣伝をば。
C90のお品書きです。
— 京大SF研@三日目東ヤ05a (@KUSFA) 2016年8月8日
新刊『WORKBOOK106 特集:SFと漫画』(星雲賞コミック部門全レビューなど)|¥400
既刊『WORKBOOK105+Asterisme』(レムコレクションレビュー&三題噺競作2015)¥300 pic.twitter.com/zgBj8y0WOL
当サークルは今年度も夏コミに出展します。
スペースは3日目(8/14)の東ヤ05a、サークル名は「京都大学SF・幻想文学研究会」です。会場では新刊に加え既刊の販売も予定しています。
2016年夏コミ(C90)情報: 京大SF・幻想文学研究会ブログ
今回は「SFとマンガ」というテーマで、「星雲賞コミック部門全レビュー」「星雲賞未受賞作レビュー」「すこし・ふしぎとSF」などの特集を組みました。
僕は星雲賞受賞作として『童夢』(大友克洋)や『三文未来の家庭訪問』(庄司創)などのレビューを担当しました。
手前味噌ではありますが、良いレビューが集まったクオリティの高い会誌となっていると思います。
コミケへお立ち寄りの際はぜひともよろしくお願いいたします。
*****
さて、ここからが記事の内容なのだが、
個人的に、勝手に、京大SF研とは何の関係もなしに、自分が今まで読んだ星雲賞コミック部門作品のごく短い(雑な)レビューを書いていこうと思う。
星雲賞コミック部門は創設された第九回(1978)の『地球へ…』から第四十七回(2016)の『シドニアの騎士』まで40作がノミネートされている。個人的に読んだことがあるのは半分ちょっとくらい。
※この内容は京大SF・幻想文学研究会やその会誌とは何の関係のない、個人の勝手な感想です。
※SF研で頒布する会誌のレビューは、これの三億倍くらいキチンとしたものなので安心してください。
※おすすめ度をつけてみましたが、あくまで他人に勧めやすいかの目安であって、作品の個人的な評価とは関係ありません。
そんな感じで
○第九回『地球(テラ)へ…』(竹宮惠子)
おすすめ度:☆☆☆☆☆
名作。SFマンガの中でオールタイムベスト級に好き。読み返すたびに深く心に染み入る。壮大なスケールでSF的なテーマ(コンピュータによる管理や、ポストヒューマンなど)に迫っているが、読んでいるうちにグイグイ引き込まれるので、あまりSFを読んだことのない人にも勧めやすい。
おすすめ度:☆☆
おもいろいし、個人的に好きなんだけれど、パロディに溢れすぎていて、あまり勧めにくい。SFパロディマンガとして、良くも悪くも以降の星雲賞コミック部門の受賞傾向に影響を与えていると思う。電気羊の話が好き。
おすすめ度:☆☆☆☆
テーマとしては古典的でありがちなんだけど、萩尾望都の手にかかるとほとんど古さを感じなくなる。ラストがすごく好き。(個人的には萩尾作品はSFより幻想寄りの作品のほうが好きなんだけれども)
おすすめ度:☆☆☆☆☆
戦争を戯画化した強烈な漫画。戯画を大友の絵でやるのだから破壊力がある。戦争が希薄になってきた時代に読みたい一作。おすすめです。
SF研の会誌でレビューを担当した作品。詳しくは会誌を手に取っていただきたく、何卒、何卒。
おすすめ度:☆☆☆
濃密。読みにくいので人に勧めにくくはあるが、その読みにくさも密度の濃さゆえだろう。ストーリーを楽しむこともできるし、『アップルシードデータブック』を読んで、その世界設定から妄想を膨らませて遊ぶのも楽しい。黒田硫黄がスピンオフ作品を描きたくなるのにも納得。
おすすめ度:☆☆
好きな作品ではあるのだけど、現代の読者が読んで素直におもしろいと思うかはビミョウだと思う。何でもあり感なら『らんま1/2』のほうが上のような気もするし、少なくとも高橋留美子作品の入門ではないと思う。
○第十九回『究極超人あ~る』(ゆうきまさみ)
おすすめ度:☆☆☆☆
変な部活動ものの元祖にして金字塔。京大写真部の部室にもひっそりと安置されている。写真部に所属している身としては、途中1話だけ挟まれる、白黒銀塩写真についての偏った回がたまらなく好き。「世はなべて3分の1」「ピーカン不許可」「頭上の空白は敵だ」。これが星雲賞を受賞しているのはちょっと謎だが、それだけ当時のオタクに受けたということなのだろう。
究極超人あ~る (1) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)
- 作者: ゆうきまさみ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1991/09
- メディア: コミック
- クリック: 10回
- この商品を含むブログ (39件) を見る
おすすめ度:☆☆
主人公の他者との交流・成長を丁寧に描いた作品。ただ、異世界混線ファンタジー設定なのだが、異世界を掘り下げられていないような気がして、SF作品である必要があったかどうかやや疑問。
会誌レビュー担当作。会誌では書けなかった感想をそのうちこのブログでも書いてみたいなあと思っている。
○第二十五回『DAI-HONYA』(とり・みき)
おすすめ度:☆☆☆
ディズトピアものでギャグは意外と珍しいような気がする。巨大資本による書籍市場の独占はなかなか現代的なテーマ。見かけはギャグでも描いてるものは真剣なイメージ。
おすすめ度:☆☆☆☆☆
歴史に残る名作。今さら僕ごときがお勧めするまでもないと思う。読んで。
おすすめ度:☆☆☆☆☆
藤田和日郎は、連載の中で、後付け設定や少し無理がある展開を纏めていき、最終的には少年マンガの理想形のような大団円まで持っていってしまう、そういう力強さをもった作家だと思う。その力技が最もうまく発揮されたのは『からくりサーカス』だと思うけど、『うしおととら』も勝るとも劣らない。
○第二十九回『SF大将』(とり・みき)
おすすめ度:☆
パロディマンガ。SFマニア向け。
おすすめ度:☆☆☆☆☆
最高。アニメ版も大好きだけど、ストーリー自体はマンガ版の方が好き。
おすすめ度:☆☆☆☆
マイナーSFマンガの当たり作。SF設定が独創的でおもしろく、キャラクターの魅力でぐいぐい進むストーリーが心地よい。この作品が埋もれてしまうのは、あまりにもったいない。
○第三十五回『彼方から』(ひかわきょうこ)
おすすめ度:☆☆
異世界転生もの。正直あまりおもしろいと思わなかったが、それは僕が異世界転生ものがあまり好きじゃないからかもしれない。主人公が爆弾テロに巻き込まれて異世界へ飛ばされる設定は白石晃士の『オカルト』を彷彿とさせる。
○第三十九回『20世紀少年』『21世紀少年』(浦沢直樹・長崎尚志)
おすすめ度:☆☆☆
個人的に浦沢直樹のマンガが苦手なので、評価しにくい。子供の空想が現実を覆っていく展開は好きなはずなんだが、サスペンス部分が今一つ好きになれない。よく浦沢直樹のマンガは「顔マンガ」だと言われるが、顔・表情以外の要素で魅せるマンガの方が好きなのかも。「ともだち」や巨大ロボットの造形は好き。
おすすめ度:☆☆☆☆☆
大傑作。ラストまで全くダレず、各キャラごとに見せ場を作っているのがすごい。ただ、この作品を星雲賞にノミネートすることもなかったんじゃないの、とも思う。大ヒットしてるし。
レビュー担当作。
おすすめ度:☆☆☆☆
SFガジェットが楽しいラブコメ。SFラブコメもののなかでも特にバラエティに富んだ作品で、作者の引き出しの広さに驚かされる。設定が『ひとりぼっちの地球侵略』にちょっとだけ似ているが、連載開始はこちらの方が10年以上早い。
○第四十六回『もやしもん』(石川将雅之)
おすすめ度:☆☆
う~ん。この作品が星雲賞を取っているのはよくわからない。良く言われるように、主人公の「細菌が目視できる」設定があまり活かせていないのは本当だし、後半になるにつれ雑学マンガの側面が大きくなっていって、物語としての魅力は削がれていってしまったように思う。オリゼーかわいい。
そんなところです。
森達也『FAKE』感想
白か黒かという二項対立的な発想が嫌いだから、この映画をつくったわけです。だから結果として、「白と黒」が「黒と白」になりましたじゃ意味がない。(中略)
だからそれを見て、この映画が全部フェイクだったのかと思う人がいてもいいんだけど、少なくとも「白と黒」でも「黒と白」でもない、グレーの部分に誘導することができたんじゃないかと思います。
ドキュメンタリー映画『FAKE』監督・森達也さんインタビュー|通販生活®
京都シネマで『FAKE』を観てきた。
ずっと観たかったのだが、上映館が少ないこともあり公開終了ギリギリになってしまった。
劇場で観ることができて本当に良かった。
というのも、このドキュメンタリーは劇場で公開されてはじめて完成するような、そういう側面を持っているように思うからだ。
もうほとんど上映は終わりかけているけれど、できたら劇場に足を運んで観たほうが、ずっと楽しめるように思う。
劇場情報|映画『FAKE』公式サイト|監督:森達也/出演:佐村河内守
そういうわけで、ここでも極力ネタバレは避けようと思う。
この映画を「森達也の15年ぶりの新作だから」という理由で観に行く人はどれくらいいるのだろうか。
森達也の名前よりも、佐村河内守の名前のほうが、一般にははるかに広く知れ渡っているだろう。やはり佐村河内の騒動に関心があった人が大半なのだろうか。
僕は、佐村河内守の名前は騒動が起こるまで全く知らなかったし、今もその騒動やその顛末についてはほとんど関心がない。
それでも、森達也が佐村河内守を題材にしたドキュメンタリーを撮っているというニュースを聞いたとき、この映画は観なくちゃな、と思った。
なぜか。
『A』、『A2』も、オウム真理教の信者を被写体にしながらも、常に撮ろうとしたのはその周囲の社会だった。オウム真理教という媒介を通して見えてくる、現代社会の側面が映された映画だった。
現代社会は多様性を認めにくくなっていないだろうか。やさしさを、冷静さを失っていないだろうか。人の苦しみに鈍感になっていないだろうか。一つの観方に満足してはいないだろうか。
それが、森達也が映像作品・著作を通じて繰り返し伝えてきたメッセージだった。
啓蒙的なところにはちょっと辟易する部分もあるし、政治的に同調できない部分もあるけれど、このメッセージに共感しているか、『FAKE』も観ようと思った。
だから、本作『FAKE』も、佐村河内守は媒介にすぎず、森達也が本当に撮りたいのは社会の方なんだろうと思っていた。
つまり、
佐村河内守を悪(というかいくらでも虐めて良い対象)と決めつけて、社会は思考停止に陥っていないだろうか、
いくらでも虐めていい対象として、相手が生の人間であることを忘れていないだろうか、
小保方晴子がそう、野々村議員がそう、ベッキーがそう、ショーンKがそう、舛添元都知事がそう、虐めて良い対象を作って私刑を加える傾向がどんどん強まっているんじゃないか、
というのが森達也が本作を通じて伝えたいことなんだろうな、と観るまではそう思っていた。
この予想は、良い意味でも悪い意味でも裏切られることになった。
社会サイドが画面にほとんど映っていないのだ。
どうしてかと言うと、佐村河内守が家に引きこもっていて全く外へ出ようとしないからなのだけど。
その意味では、『A2』の方がドキュメンタリーとしての完成度は高いように思う。
しかし、劇場で実際に観てみて、社会は映っていないけれども、森達也が扱おうとしていたものが眼前にあることに気が付いた。
ネット上の感想にも、こんなものがあった。
また、映画を観る場所も、DVDが出るまで待つ手もあるのだが、劇場で観て、本当に良かったなと思った。この映画の最中、「笑い」が観客から起きる。ただ、その笑いはコメディシーンの笑いとは、全く違うものだ。自分の罪悪感を晴らすかのような、わざとらしい笑いが起こっていた。この劇場体験は、私は初めてだった。
映画「FAKE」(森達也監督)の感想・レビュー/「ネット炎上」について - 会社員のための雑学ハック
そう。こうした劇場の反応こそが、この映画を劇場で観ることをおすすめする理由だ。
森達也はこういう反応を逆算してこのドキュメンタリーに着手したのだろうか。もしそうなら、まぎれもない天才だと思う。