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『帰ってきたヒトラー』(ネタバレあり)

映画

『帰ってきたヒトラー』を観て泣いてしまった理由。
 

 それは言ってしまえば単純なのだけれど、たぶん、知らないうちにザヴァツキに感情移入していたんだろうと思う。
 

 ザヴァツキは最初、ヒトラーのコメディアンとしての才能に惚れ込み、思想的にも同調するような、ヒトラーに親しみを持っているようなところがあった。

 それが後半になって、ユダヤ人に対して差別的な発言をするところからヒトラーの異様さを垣間見ることになる。

 そして、ザヴァツキは、ヒトラーが最初に現れた場所が総統地下壕跡地だったことに気付き、本物のヒトラーが復活していることを知る。その結果、「あいつは本物のヒトラーだ」と主張して、精神病院に入れられることになる。

 この展開は原作とは大きく異なる。

 小説ではザブァツキはクレマイヤー嬢と結婚して、ある程度はハッピーな終わり方になっていた。
 

 この、親しみをもっていた人物が異様であった悲しみと、世の中の大きな流れに一人取り残されてしまった孤独に、僕は同調していたのだろう。
 

 観客はザブァツキと同じ心の動きになるよう仕組まれている。

 観客の目にもヒトラーは最初、魅力的な人物に映るが、ザヴァツキとともにヒトラーの異様な面を垣間見ることになる。

 観客とザヴァツキだけが、本物のヒトラーが蘇ったことを知っている。

 そして観客である私たちはザヴァツキと同じように、画面の中のドイツの熱狂とうねりを、ただ観ていることしかできない。
 

 そういう意味で、ザヴァツキは、映画を観ている人ととても近いポジションにいるのだ。

 僕が強く感情移入してしまったのも、こう考えればある程度納得がいく。

 

 そして、この「大きな流れに対して、ただ傍観することしかできない立場」というのが、今現在の我々が置かれている立場と重なるような気がして、どうしようもなく泣けてきてしまったのだと思う。

 

 

 この映画を通じて気づかされるのは、ヒトラーは――そしてナチズムは――外的な力によって挫折させられたのであって、内部からイデオロギー的に挫折したわけではない、という単純な事実だ。

 実際に、生前のヒトラーが人気者だったのは間違いない。

 ヒトラーを選んだのは、当時最も民主的な憲法を持っていたワイマール憲法下のドイツだった。

 第一次大戦敗北の賠償金で、世界一のハイパーインフレをおこして失業率40パーセントだった国を、数年間でほとんど完全雇用を達成するまでに回復させたのも、ヒトラー政権だった。
 そしてできたのがアウトバーン

 ヒトラー政権下でドイツ国民の生活が豊かになったのは、まず間違いない。

 ただし、それはユダヤ人やポーランド人からの搾取があって成り立っていたことも、ほぼ間違いないだろう。
 

 

 最近、戦後のリベラルの責任というのをしばしば考える。

 というのも、戦後のリベラルは、全体主義の崩壊を、自分たちの力・思想によるものだと錯覚してきたところがあったんじゃないかと思うのだ。

 外からの力で崩壊したものを、自分たちが思想的に殺したと勘違いしたことはなかっただろうか。戦前を、思想的に清算する試みが不十分だったんじゃないだろうか。現在の世界の状況を考えると、とくにそう思う。

 

 そういうことを考えると、小説版でヒトラーが掲げたスローガン「悪いことばかりじゃなかった」を読むと、ぞっとするものがある。「悪いことばかりじゃなかった」のは本当だから。

 

 

 

 なんかちょっと最後は政治っぽい話になっちゃったので次回はレトルトカレーについてみたいなことを書きます。