トマト倉庫八丁目

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雑記01:仮想通貨の話とか

 

もうちょっと雑にブログを動かしたい気がしてきたので、メモ代わりの雑記。

今週は研究に進展があったので嬉しい。火曜の夕方以降は、自分のテンションが少し高くてキモかったかも。

 ただ、そのぶん今月は研究のための文章ばかり読んでいて、趣味の本が全然読めなかった。年末は、おもしろSFでも読んでゆっくりしたい。 

 

ビットコインの話

 ここ数か月ビットコインの話題をよく聞くし、自分も気になっている。ただそれは、投機対象としてではなくて、これから世の中のお金がどうなっていくのかについての興味。今現在ビットコインはほとんど使用はされていないようだけど、これが普通に使用されるようになって、貨幣が電子上のものになり、国家が管理するものではなくなったらどうなるのかが気になる。仮想通貨が当たり前になったとしたら、それはやはり名目貨幣説の勝利なのだろうか。

 ドルせよ日本円にせよ国家が価値を保証してくれているわけで、ビットコインにはそうした価値を保証してくれる権威がない。電子マネーが利用できるようになれば非常に便利なのだろうけど、それは直ちに「国民国家」の弱体化に繋がるだろうと思う。グローバル化と言えば聞こえは良いけど、国家の通貨管理が特権的でなくなるのは、国の在り方がかなり変わってくる可能性もあるんじゃないかと思う。

(いずれにせよ国家という「想像の共同体」がゆるやかに解体されていく流れは止められないだろうけど、それがどの程度のペースで進むかはわからない。以外と差し迫っているかもしれないし、100年スパンの時間がかかるのかもしれない。中田考なんかは「領域国民国家」を「リヴァイアサン」として諸悪の根源としているけれど、際限なき競争が生まれてしまうようにも思う。国家なき競争が生まれたら、「お上」以外の連帯が弱い日本人は辛そうという印象)

 ところで、仮想通貨は採掘(マインング)を価値の根源としているようだけれども、自分にはこれが、マルクス経済学的な労働価値説のヴァーチャルな復活のようにも思える。マルクスは、価値を生み出す労働の本質を筋肉労働と考えたわけだけど、そうした筋肉労働のようなものが電子上で行われているのが面白い。

 実際にビットコイン金本位制+労働価値説で理解しようとする論調もあるみたい。

 

  個人的には、何か世界に付加価値を与えているという実感の無い金儲けには手を出さないと決めているので、マネーゲーム的になっている今のビットコインはやらないようにしている。

 このポリシーは株式についてもそうで、「この企業を支援してウィンウィンの関係を築きたい」と考えて株をやるのはアリだけど、マネーゲームにしちゃうのは止めておこうと思っている。

 しかし、中国の例をのように、電子マネーが当たり前になる時代はすぐそこまで来ているようにも思うし、その国家を媒介としない形態が普通になるのも、案外簡単に実現しちゃうんじゃないかという気もする。