トマト倉庫八丁目

小説、漫画、映画、ゲームなどなど

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』レビュー

 

 といっても、前回サークルの会誌で、「SF映画の原作を読む!」という企画用に書いたもののなのですが。

 カズオ・イシグロノーベル賞受賞記念に、編集長の許可を取ってここにも貼っておきます。

 会誌用なのでブログとは語り口がちょっと違うかも。

 

 なお、京大SF研は今年の冬コミも参加します。三日目東メ02a。

 僕は前田司郎『夏の水の半魚人』のレビューや、某翻訳をしたりしました。前田司郎は今回の芥川賞候補になりましたね。タイムリー。

 

https://twitter.com/KUSFA/status/945588276794089472

 

https://twitter.com/KUhttps://twitter.com/KUSFA/status/945588276794089472SFA/status/945588276794089472

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

 『わたしを離さないで』はSF的設定を用いて、大きな運命の中に生きる人々を描いた傑作だ。舞台は近未来のイギリス、全寮制の施設・ヘールシャム。抑制の利いた文体でそこに暮らす人々を描いているようだが、その背後には奇妙な違和感がある。一見平穏に思える施設の生活は、どこかおかしい。読者はそうしたもどかしさを感じて読み進めることになるが、その違和感と謎にいつのまにか引き込まれてしまう。そして、読者は次第に明かされる真実に戦慄する。

 二〇一四年には蜷川幸雄によって舞台化され、昨年にはTBS系でテレビドラマ化されるなど、日本でもポピュラーな本作だが、未読の方でまだ本書の「真実」を知らないのならば幸運だ。誰かにうっかりネタバラシされる前に読まれるのをおすすめしたい。ページをめくるにつれ、薄皮が一枚ずつはがれていくように「違和感」の正体が明かされていく独特の手触りは、設定を知らない初読時にしか得られない妙味だ。解説で柴田元幸が述べているように、「予備知識は少なければ少ないほどよい」というのは確かにそうだろう。しかし、本作の魅力を伝えるため、もう少しだけ付け足そう。

 本作を無理にSFのジャンルに当てはめるなら近未来ディストピアSFとなるだろうが、ディストピア作品としてこの作品を語るのは的外れだろう。本作の主眼は社会にあるのではなく、社会のなかで生きる何ものにもなれない人間たちだ。ディストピアとしての社会は通奏低音として作品を貫いてはいるが、あくまで焦点はそこに生きる人間たちだ。イシグロは実際に読売新聞によるインタビューで「私は(……)極度にSF的な事柄は用心深く排しました」。それは「人間すべてに共通する状況下にクローン人間を描くことで、自分と異なる人たちの話だと思って読むうち、これは自分自身に当てはまる話なんだと気づいてほしかったから」と述べている[i]。主人公たちは不条理な社会を正そうとはせず、そのなかでどうにか運命に逆らおうとあがく。淡々と描かれるその姿は、SFの枠内を越えて、現実を生きるわれわれの姿に重なっていく。

 本作は二〇一〇年にマーク・ロマネクによって映画化された。おおむね原作に忠実な映画化だが、時間の都合か、ラスト付近のある重要なシーンに関わる要素が省略されてしまっている。しかし、原作の静かな語りをそのままに伝えるような、静謐で落ち着いた画面構成が美しい傑作と言えるだろう。

 

[i] 2006.06.12 読売新聞   「わたしを離さないで」刊行 カズオ・イシグロ氏に聞く            東京朝刊          文化   13     

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※