トマト倉庫八丁目

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雑記03:バブルの話とか国家の話とか

○三たび仮想通貨の話

 また今回も仮想通貨の話なのだが。ここまで執拗に仮想通貨の話をするのは、周囲の投機にあまり興味がなさそうだった人たちがどんどん仮想通貨に参入していることによるところが大きい。個人的に悲しいのは、仮想通貨に参入している人のほとんどが表面的な価格の動向に気をとられていて、本質的な側面には全然興味がなさそうというところ(友人でそうじゃない人がいたらゴメンナサイ)。

 いろいろと仮想通貨についてのサイトを見て(今回は英語のページもいくつか見た)、やはり仮想通貨の値段がこれだけ高くあり続けるのは不自然だし、早い段階で暴落するんじゃないか、と思った。バブルの崩壊は、ビットコイン全体の40パーセントを保有していると言われている1000人のようなスーパーリッチたちによるインサイダー取引がきっかけになるかもしれない。あるいは、中国が規制に乗り出したときに価格が一時下がったように、各国が一斉に規制に働くのがきっかけかもしれない。各国が規制に乗り出そうとするのがきっかけになるかもしれない。あるいはもっと些細なきかっけから、みんなが「国が管理する貨幣の方が信用できる」と気づくのが引き金になるかもしれない。
 いずれにせよ、前にも述べた様に、ブロックチェーンのシステムは本質的に国家に対立するものだ。だから、仮想通貨が「国が管理する貨幣」よりも有力になりそうな兆しがあったときに、国が規制しないとは自分には考えにくい。個人的には、まだ国家への信頼が仮想通貨で大きく揺らぐほど、世界は進んでいないと思う。バブルが崩壊した後、仮想通貨は少しずつ有力になっていき、それとともに少しずつ国家の権力を奪っていくのだと思う。
 主権国家の役割が相対的に低下しているという議論は冷戦終結以後あたりから盛んになされている。それでも今なお、国家は他にはない強大な影響力を及ぼすものとして存在している。IS(イスラム国)が宗教を中心性とする共同体として、主権国家というナショナリズムを中心性とする「想像の共同体」に対立する形で現れたときは、いよいよ近代的主権国家も賞味期限が来たかと思ったが、そのISもほとんど崩壊し、近代的な「国家」に代わるものにはなりえなかった。やはり、まだまだ国家は比肩するものがないほどに強い。そう考えると、仮想通貨がいきなり国を基盤とする貨幣にとって代わられるとは思えない。
 しかし、国家の役割がどんどん低下していくのは確実だろうし、ブロックチェーンもその一つの流れなのは間違いない。そうして国家の役割が低下したポストモダン的時代を「新しい中世」と呼ぶことがある。定義はいろいろだが、つまり、中世のように有力な「主体」が多様に存在する世界になるということだ。中世は近代的な意味での国家は存在せず、王や諸侯・貴族、教会や修道院など、支配的な「主体」が多様に存在する、分散型・非中央集権型の社会だった。それが近世の絶対王政を経て、近代のいわゆる「領域国民国家」によって一元的な中央集権が完成する。それがポストモダンになると、グローバリセイションを通じ、多国籍企業などによって有力な「主体」が分散していく世界を「新しい中世」と呼ぶのだそうだ。
 もし、これから世界が新中世的な様相を深めるのならば、「国家」というローカルがだんだんと消えていくのならば、それはやはり飽くなき「闘争領域の拡大」なんじゃないかと思わざるを得ない。それはナショナリズム以外の中心性が乏しく、地理的にアメリカと中国という大国に挟まれた日本にとっては非常に厳しい時代なんじゃないかと思うのだ。
 ビットコインの話をするつもりだったのにほとんど国家の話になってしまった。
 仮想通貨系の記事で分かりやすくおもしろかったのは下の二つ。代わりにそれ読んで。

ビットコインバブルは崩壊するのか?政府の規制とインターネットバブルの歴史から未来展望を考えてみる

If the bitcoin bubble bursts, this is what will happen next | WIRED UK


 ところで、「仮想通貨」は英語だとcryptocurrency(暗号通貨)だそうだ。てっきりvirtual currencyなのだとばかり。日本語で「暗号通貨」としてしまうと、怪しい雰囲気になってしまうからだろうか。では最初に「仮想通貨」と訳したのは誰なのだろうか、そして、どういう意図から「暗号」を「仮想」にしたのだろうか? 訳した人にとって「暗号通貨」では不都合な点があったのだろうか? これを調べるだけでもおもしろそう。

 


○『ケシカスくん』の消しゴムバブル回

 ビットコインはバブルなのか的な記事を読んでいて、いくつか17世紀チューリップ・バブルと比較されているものがあった。過去にオランダでは、チューリップの球根一つで家が買えるほどのバブルになった話。
 これを読んでいて思い出したのが、昔マンガ『ケシカスくん』で読んだ消しゴムバブル回。ケシカスくんが街じゅうの消しゴムを買い占めることで、街から消しゴムがなくなるんじゃないかという不安から消しゴムの価格が急上昇。一時は消しゴム1個で家が買えるくらいの金額にまで上がって、ケシカスくんの悪だくみは成功したかに思われたが、ささいなきっかけから、みんなが馬鹿らしいと気付いてバブルが崩壊。ケシカスくんは大量の損失を抱えて終わる。という感じの話だったと思う。面白かったのは、消しゴムバブル崩壊の原因が、効果で貴重な消しゴムを普通に使っている人を見て、自体のおかしさにみんなが気づくというものだったこと。
 これを読んだ当時(弟のコロコロを読んでいた時期だから小学校中学年くらい?)は、こんなことあるわけない、と思っていたが、歴史上は実際に起きたことなのだとは、高校で世界史を勉強するまでわからなかった。