トマト倉庫八丁目

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雑記06:文章と映像と動画と、それとVR

 

 この3月でTwitterを始めてから丸7年になったようだ。

 当時はまだ高校生で、クラスの中でTwitterをしているのは3人とかいう状況だったのを覚えている。

 そのころのTwitterにはもちろん動画を投稿する機能はなく、写真も1ツイートにつき1枚まで。今よりもはるかに「文章を投稿する」SNSという感じだった。

 

 そのころは、Twitterが少しずつ人気になっていくなかで「出版不況だというけど、人が文字を読むのを止めたわけではなくて、形が変わってきているだけだ。むしろ人はネット環境によってどんどん文章を読むようになってきている。文芸の未来は明るい!」と思ったものだった。

 

 しかし、御存じの通り、状況は大きく変わった。

 Twitterでバズるツイートは、画像か動画がほとんどという状況になった。

 CPUの処理能力が上がっていくにつれ、ネットは「文字を読む」ツールから、「文章から映像まで気軽に楽しめる」なってきたのだ。そして、普段そこまで文章を読み書きしない層もネットを日常的に利用するようになってきたのだ。高校生のときの自分が「文芸の未来は明るい!」と思ったときには、何のことはない、単に「普段からある程度文章に親しんでいる人たち」しかネット上で可視化されていなかった、というだけのことだったのである。

 

  ネット上での表現方法はどんどん多様に、そして豊かになってきている。

 

 10年前はネット上の動画がここまで身近なものになるとは思わなかった。そう考えると、VRも10年後にはかなり身近なものになっているんじゃないかという気がしてくる。

 今はVRchatの参入障壁はかなり高いが、数年後にはかなりの人が参加するコンテンツになっているんじゃないかと思う。そうなってくると、ブログを開設するくらいの気持ちでヴァーチャルYouTuberを始める人が増えてくるように思う。

 今でこそヴァーチャルYouTuberになるには金銭的・技術的な面でハードルが高いが、心理的な面でのハードルはブログとそれほど変わらないように思う。自分の人格の手前に、キャラクターという「盾」を置くことができるのが大きい。5ちゃんねるで叩かれたとしても、それは生身の人間ではなくてキャラクターなのだから、受けるダメージは比較的小さい。

 

 ネット上の表現方法がどんどん多様になっていき、VRも文章や画像、動画に並ぶメディアになっていくと思う。ならば、その先はどんな世界になっていくのか、すごく楽しみな半面、少し怖いところもある。

 

 まず、ある程度お金をかけたコンテンツが作りにくくなってしまうんじゃないか、ということ。映画産業は別格として、出版社やテレビ局はこれから厳しい時代を迎えるんじゃないだろうか。もちろん、「文字を読んで喜ぶ文化」、「映像を観て喜ぶ文化」は残り続けるだろうが、無料のコンテンツが大量に溢れているなかでは、今の既存のメディアが持っているアドバンテージは、ブランド力と人脈がメインだと思う。ノウハウと金銭面のアドバンテージは、相対的にどんどん重要度が落ちていくだろう。だとすれば、良いコンテンツを作り続けるだけではジリジリと先細っていくしかないように思う。お金のかかったドキュメンタリーが作りにくい状況が生まれてしまったら、それはちょっと寂しい。

 それから、コンテンツの多様化によってかつてないほどに個人化が進むんじゃないかということ。テレビの視聴率もどんどん下がっていて、みんなが体験を共有するコンテンツというのはかなり少なくなってきている。それは少し寂しいんじゃないかと思うが、まあしかし、これは街頭のテレビにみんなが集まっていた時代を懐かしむような考え方かもしれない。

 

 不安な気持ちもあるにはあるが、やはりコンテンツが多様化していく世界は、それだけ豊かな世界だと思う。だから楽しみな気持ちの方が大きい。

 ネットとコンテンツの未来がどうなるのか最前線で感じたい気持ちがあり、VRchatに参入したい気持ちが日に日に強まっている。VRの世界へ行くために、もやしを大量に食らうなどして生身の身体を犠牲にするのも乙なものかもしれない。

 

 ビールをガブガブ飲みながら書いたせいか、何だかとりとめのない文章になってしまった。書き直すかも。