トマト倉庫八丁目

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雑記11:「あなたを動物に例えると」と聞かれたくて仕方ない

 

近況

 先日、1社から限りなく内定に近い何かを頂いたので、来年路頭に迷うことはなさそう。

 ただ、そんなに志望度の高くない企業なので、まだまだ就活は続くし、精神的にもそんなに余裕ができたわけではない感じ。

 ノースキルドブ文系大学院生は、就活市場において人権を保障されていないので、動き続けるしかない。

 

 

「あなたを動物に例えると何ですか?」

 就活で最も有名な質問の一つだろう。

 こんなクソみたいな質問する企業あるのかヨ都市伝説だろ(笑)、と思っていたのだが、実際にされたことがある人を何人も見ているので、実際にされる可能性のある質問なのだ。

 こんなので仕事ができるかどうかなんて分かるわけはないだろうが、性格が社内の雰囲気とマッチするかどうか多角的に見るため、とかアドリブ力を見るためとか、そういう理由なんだろう。有効だとはとても思えないが。

 自分は、あまりこの手の質問をしそうにない企業ばかり受けているので、まだ訊かれた経験はないのだが、準備はバッチリである。

 「学生時代に力を入れたこと」よりも入念に脳内でシュミレーションを行っている。

 

 「ハイ!! 私を動物に例えるとゴリラです!!! なぜなら、強くて優しいからです!!! また、ゴリラはストレスがかかると下痢になってしまうのですが、私もストレスがお腹に来るタイプです。今日も面接でちょっぴり緊張していて、朝からお腹がユルユルですが、ゴリラ顔負けのパワー(ここで力こぶをつくる)で一生懸命がんばろうと思います!!!」

 

 完璧な回答である。

 自分の強みをしっかりと伝えながら、弱みは豆知識とギャグを交えて面接官がツッコみやすいように工夫している。

 早く「あなたを動物に例えると何ですか?」と訊かれたいと日々ウズウズしながら面接を受けている。

 

 

 まあ、それは冗談だが、アホな質問にはウケ狙いで返すのは一つの手だと思う。

 ただ、大学のイベントで話す機会のあった、某大手出版社で働くOBは、ある企業で「あなたを動物に例えると?」と訊かれて、「すばしっこくないネコ」と答えた結果落ちたらしいが。

 

 この質問に対する解答で、今まで聞いた中で一番強烈なのは、岸本佐知子のエッセイ集『ねにもつタイプ』に出てきたものだろう。

 岸本佐知子自身、訊かれたことはないらしいのだが、もし訊かれたら

 「ゴンズイ玉の中の方にいるやつ」と答える用意があるらしい。

 ゴンズイのなかでも「中の方で、何もわからず、何も見えず、大して前にも後ろにも進まず、ただ右を向いたり左を向いたりして一生を終わるようなのもいる。それが私だ。」

 とのこと。

 岸本風に自分を動物に例えると何なのか考えながらする就活は、ちょっとだけ楽しい。

 

 

目を見て話すこと

 どうやら自分は、あまり人の目を見て話せていなかったらしい。

 

 先日、リクルーター面談があったのだが、その際リクルーターの方から面接のアドバイスとして、「もっと目を見て話したほうがいいよ」という言葉を頂いた。

 個人的にはなるべく目を見て話していたように思っていたので、ちょっと意外だった。

 そうか、世の大人たちは自分よりもずっと相手の目を見て話しているのだな、と言われたそのときは思ったのだが、そのリクルーターの方が最後に気になることを言っていた。

 

 「話を真剣に聞いてくれてるのは伝わったけど、目線がちょっと下に行きがちだったから」と。

 

 思い返すに、これには思い当たるフシがある。

 

 「目を見て話しなさい」と初めて言われた記憶は、小学校3年生のときに遡る。

 当時の先生に「先生が話しているときは、先生の目を見るようにしてください」と言われた。

 そしてその際に、「だけど、ずっと人の目を見ていると怖くなってくることもあるから、目を見るのが辛くなったときは話している人の鼻を見るようにしてください」とも言っていたのだ

 素直な子供だった自分は、「そうか、人と話すときはその人の鼻を見て喋ればいいのだな」と思いった。

 その教えを15年以上守ってきたようなのだ。

 

 そう。自分は人と話すとき、かなり相手の鼻を見ている。

 だから、「視線が下に行きがち」と言われたのだ。

 しかし、小学校の先生のアドバイスは、先生の話を聞くときのアドバイスだ。

 つまり、発話者とある程度の距離があるときにしか使えないテクニックだったのだ。

 自分はこのことに気が付くまで15年かかった。

 小学校を過ぎて、他人から「目を見て話せ」と言われることなんて無かったので、今まで気が付かなかったのだ。

 

 しかし、やはり人の目を見て話し続けるというのは、かなり疲れるものでもある。

 「目」の持つ情報量が多すぎる。

 「目は口ほどに物を言う」とはよく言ったもので、人の目をずっと見続けていると、相手が話している内容と「目」からの情報がごっちゃになって混乱してくる。

 目を見ながら話すためには、脳は異なる情報を同時に処理しなければならないのだ。

 

 その上、会話のマナーとして「相手の目を見すぎるのも失礼」と言われている。

 ずっと目を見すぎてても、メンチを切っているような、相手に威圧感を与えることになってしまうのだ。ふとした瞬間に手元などに目をやる必要がある。

 そして、この時も、窓の外なんかには目を向けてはいけない。話に集中してないと思われてしまうからだ。

 

 つまり、「相手の目を見ながら会話をする」には、「相手の目から発信される情報を処理しつつ会話の内容を理解し、その上で適切なタイミングで視線を不自然でない位置へ適宜ずらす」必要があるのだ。

 なんとも高度な技術だ。

 会話の最中にこんなことを意識しては、会話は全く成り立たなくなってしまうだろう。

 日頃の会話で練習して、意識しないでもできるようにならなくてはならない。

 自分は割と器用な方なので、すぐに修正して、面接官の目を見て自信満々なフリをしながら話すことができるようになった。だが、こんな複雑な動作の組み合わせ、できない人もふつうにいるだろう。

 

 しかし、これほどの労力をかけてまで、「目を見て話す」必要性が、本当にあるのだろうか。

 個人的には、相手の目を見てハキハキ喋る人間より、伏目がちでポツポツと呟くように語りかけてくる人間の方がよほど信用できるのだけど。