トマト倉庫八丁目

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虚構の時代の果てにレンガを積む――なぜ仕事をするのか

 

 研修で、「仕事とモチベーション」について、こんな話を聞いた。 

 「3人のレンガ職人」の話だ。

 ディティールは違うが、大まかには以下のような話だ。

 

世界中を回っている旅人が,ある町はずれの1本道を歩いていると,1人の男が道の脇で難しそうな顔をしてレンガを積んでいました。

旅人は,その男のそばに立ち止まってたずねました。
「ここでいったい何をしているのですか?」

すると,男はこう答えました。
「見ればわかるだろう。レンガ積みをしているのさ。毎日毎日,雨の日も強い風の日も,暑い日も寒い日も1日中レンガ積みだ。なんでオレはこんなことをしなければならないのか,まったくついてない。」

旅人は,その男に「大変ですね」と慰めの言葉を残して,歩き続けました。

しばらく行くと,一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会いました。
しかし,その男は,先ほどの男ほどつらそうには見えませんでした。

そこで,また旅人はたずねました。
「ここでいったい何をしているのですか?」

すると,男はこう答えました。
「オレはね,ここで大きな壁を作っているんだよ。これがオレの仕事でね。」

旅人は「それは大変ですね」と,いたわりの言葉をかけました。
すると,意外な言葉が返ってきました。

「なんてことはないよ。この仕事でオレは家族を養ってるんだ。この仕事があるから家族全員が食べていけるのだから,大変だなんて言ったらバチが当たるよ。」

旅人は,その男に励ましの言葉を残して歩き続けました。

さらにもう少し歩くと,別の男がいきいきと楽しそうにレンガを積んでい
ました。

旅人は興味深くたずねました。
「ここで,いったい何をしているのですか?」

すると,男は目を輝かせてこう答えました。
「ああ,オレたちのことかい?オレたちは歴史に残る偉大な大聖堂をつくっているんだ。」

旅人は「それは大変ですね」と,いたわりの言葉をかけました。
すると男は,楽しそうにこう返してきました。

「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け,悲しみを払うんだ!素晴らしいだろう!」

旅人は,その男にお礼の言葉を残して,元気いっぱいに歩き始めました。

 

 引用元

3人のレンガ職人から考える目的と目標

*1

 

 実はこの話はもともとは「石切り工」の話なのだが、どういうわけだが「レンガ職人」にアレンジされている。*2

 

 それはさておき、この話は「仕事をするうえでは大きなビジョンを描くべき」という教訓の、たとえ話として紹介される。

 ドラッガーの『マネジメント』でもこの手の話が紹介されており*3ドラッガーはその話をつかって「企業の成員は共通の目標を持たなければならない。経営管理者は、目標によるマネジメントをしなければならいない」ということを説明しているようだ。

 

 

 しかし、自分には、これは単に個人の目的意識の違いだけに留まるようには思えなかった。
 すなわち、
  一人目の男の意識は「現代(ポストモダン)」的、
  二人目の男は「近代」的
  三人目の男は「近代以前」的
  に見えるのだ。
  
 近代は資本主義によって特徴づけられるだろうが、その資本主義を牽引してきたのは「分業」であろう。職人の時代が終わり、家内制手工業から工場制手工業を経て、工場制機械工業へと移っていく。それにしたがい、労働者の仕事は「分業」によって細かく分割され、一つ一つの作業は「意味」を失っていく。
 たとえば、中間素材メーカーだったり、下請け部品メーカーの工場で働いている作業員は、自分たちの作っているものが一体何に使われているのか、分からないまま働いていることも多いだろう。果たしてそうした仕事に「意味」を見いだすことはできるのだろうか。
 こうした状態をマルクスは「疎外」と呼んだ。彼によれば、近代資本主義は労働から生の意味を奪い、労働は「生きる目的」ではなく「生きる手段」になってしまう。
  この「分業」の極致に現れてくる意識、意味を失った作業に対する意識は、どうしても一人目の男の意識になってくるのではないか。
 
 近代的な家族の価値観が堅固だった時代なら、仕事から「意味」が失われていたとしても、家族のためを思って働く二人目の男のような労働者も多かっただろう。
 しかし、男性の生涯未婚率が1970年代の約2%から25%近くまで激増した*42010年代に、二人目の男のような意識はどれだけ保てるだろうか。
 
 三人目の男の意識は、ほとんど中世に近いと言ってもいいんじゃないだろうか。神が自分の生きる意味を十全に与えていてくれた時代の意識である。伝統的な信仰が残っていたのどかな時代。あるいは「参加する意識」が優勢な時代の意識。このような意識は、失われて久しい。
 
仕事に大きな意義が持てないのは、もちろん個人に帰する問題も大きいが、しかしやはり時代の問題もあるのだ。そうでなければ、これほどニートや引きこもりが増えたりはしないだろう。
 
 自分自身が何のために働いているかを考えると、今のところは、やはりお金を稼ぐためとしか思えない。
 できることなら働く時間は最小限にして、趣味に時間を割き、仕事以外の部分で自己実現をしていきたい。
 
 自分が働いているときの意識は、一人目の男の意識だ。神や「大きな物語」を信じることはできず、養う家族もいない。分業されて細切れになった仕事の前に立ちすくんでいるのだ。
 
 

*1:孫引き、原典はリンク切れ

*2:この経緯については別の記事で少し触れてみたい。なぜか「イソップ童話」だとして紹介されることもあるが、「イソップ童話」にはレンガ職人の話も石切り工の話も確認できない。参考

*3:ドラッガーの引用はもともとの「石切り工」バージョンだ

*4:女性でも15パーセントほどだ。参考