雑記08:河原町のジュリーはどこにいる
今日はホームレスの話をしようと思う。
夜勤バイト先の解放スペースによく出入りしていた、ホームレスのおっちゃんがいたのだ。
なかなかの臭いを放っていたこともあって、バイト先の人間からは嫌われていたが、自分は、どこかそのおっちゃんに愛着のようなものを感じていた。
少なくとも、そのおっちゃんにゴキブリを見たかのような目線を投げる職場の人たちよりも、自分は、あのおっちゃんの方が好きだったと思う。
中学生の頃からずっと、自分は将来ホームレス状態になっても全くおかしくない、と思っていた。
当時読んだ貧困についてのノンフィクションの影響もあっただろう。その本には、自分と大して変わらない境遇にいた青年が、些細なきっかけからホームレスになってしまう経緯が書かれていた。
あらゆる可能性を使い果たして浮浪者になった自分のイメージは、その頃から今も、ずっと頭の片隅にある。
そして、二十代にもなると、敷かれたレールを脱線するのが如何に簡単か、そして脱線した後にレールの上に戻るのが如何に難しいかが、だんたんと身近なものとして分かってくる。
そんなことを考えていた自分は、ホームレスのおっちゃんの中に、自分のあり得るかもしれない未来を見ていたのだろうか。
上にも書いた通り、職場の人たちはそのホームレスのおっちゃんを嫌っていたのだが、一人だけ、そのおっちゃんに少し優しく接していた職員のおじさんがいた。
そして、その職員のおじさんが、自分に「昔は“河原町のジュリー”ってのがいてな」と話してくれたのだ。
河原町のジュリーは1960~80年代に河原町附近を徘徊していたホームレスの愛称だ。
河原町のジュリーは多くの人に愛されていたそうだ。「見かけたら良いことがある」みたいな都市伝説が流れていた中学校なんかもあったようである。
自分は、京都出身のローザ・ルクセンブルグというバンドが好きなのだが、このローザにも、河原町のジュリーを題材にした「だけどジュリー」という曲がある。凄く良い曲なので是非聴いてほしい。
河原町のジュリーの愛され方を考えると、当時の京都は、今よりもずっとリベラルな雰囲気だったんだろうなと思う。それが良いことかどうかは別として。外国人観光客の増えた今の河原町をホームレスが徘徊していたら、おそらく排除されるだろう。
当時の京都ではかなり有名だったようで、自分の周りにいる五十代以上の京都人は、みんな河原町のジュリーのことを知っていた。
そして、先日京都大学を退官された若島正も、学生時代によく河原町のジュリーと顔を合わせていたようである。
ちょっと長くなるけれど、一連のツイートをここに引用しよう。
今から五十年近く前の話である。おそらく年配の方ならご存知だと思うが、京都の四条河原町のあたりを悠然たる足どりで徘徊していた、「河原町のジュリー」という名前で知られる有名なホームレスの男がいた。
— Problem Paradise (@propara) 2018年4月6日
そしてわたしは、一九七〇年代の前半だったと記憶するが、ほとんど毎日のように河原町通りで、この「河原町のジュリー」の赤黒い顔と出くわしていたのである。
— Problem Paradise (@propara) 2018年4月6日
当時わたしは海外小説に目ざめたころで、蛸薬師の丸善と、四条上ルの京都書院に日参していた。必然的に、河原町の蛸薬師から四条までのあいだの西側を通ることになり、そしてさらに必然的に、ちょうどそのコースを周遊している河原町のジュリーの姿を見かけることになるのだった。
— Problem Paradise (@propara) 2018年4月6日
河原町のジュリーはゆっくりとこちらにやってくる。しかし、いち早く新刊書をチェックする目的で書店へと急ぐわたしとは違って、どこへ行こうというような目的をまったく持たない様子だ。
— Problem Paradise (@propara) 2018年4月6日
そしてときどき、ゆっくりとした歩みを止めては、ゴミ箱に手をさしこみ、確実にジュースの空き缶をつかみだして、その残りの数滴をゆっくりと飲み干している。
— Problem Paradise (@propara) 2018年4月6日
そうやって毎日のように彼とすれ違っていると、不思議な思いがわいてきた。こちらが「またあの男だ」と思っているように、相手のほうでもわたしの顔を見て、「またあの男だ」と思っているのではないか、と。
— Problem Paradise (@propara) 2018年4月6日
昔も今も、ふだんから服装にまったく関心のないわたしは、いつも同じ服を着ていたので、雑踏を歩くプロである河原町のジュリーからすれば、記憶に残りやすかっただろう。あの男はいつも、何をあわててあんなに急ぎ足で歩いているんだろう、とそんなことをぼんやり考えてはいなかっただろうか。
— Problem Paradise (@propara) 2018年4月6日
わたしは誰をうらやむこともしない人間である。自分以外の人間になりたいと思ったことはない。しかし、なぜか、この河原町のジュリーだけはなぜか見えない糸で結ばれているような気がして、他人とは思えなかったのだ。
— Problem Paradise (@propara) 2018年4月6日
今でもこうしてときどき彼のことを思い出すのは、その証拠に違いない。しかし、河原町をゆっくりと歩いてみても、もう丸善や京都書院はないし、河原町のジュリーの姿もそこにはない。
— Problem Paradise (@propara) 2018年4月6日
その頃、わたしは河原町のジュリーと身体がお互いに入れ替わってしまうという夢をときどき見た。しかし、そういう筋の短篇小説だったらどこかで読んだような気がする。その作者がブッツアーティだったか誰だったか、今ではもう思い出せない。
— Problem Paradise (@propara) 2018年4月6日
これを読んで思ったのだ。バイト先のホームレスのおっちゃんに感じていた自分の気持ちにも、通じるものがあるかもな、と。
就職活動と言う、敷かれたレールから外れまいとする行為をしていると、どうしてもあのホームレスのおっちゃんを思い出してきてしまう。
しかし、ここ一年くらい、バイト先であのおっちゃんを見かけていないのだ。
死んでしまったのだろうか。
どこかで保護されていればいいが。
京都の冬は寒いのだから。