トマト倉庫八丁目

小説、漫画、映画、ゲームなどなど

わくわく近況報告

●お仕事が燃えている

 普通のサラリーマンが一生に一度出くわすか出くわさないかみたいな案件にブチ当たっている。
 しかもかなり爆心地に近いところで。
 
 忙しいだけでなく、精神的にもかなりキツいことをやらされているのがツラい。
 具体的には言うことができないので、たとえ話を使うと、大地震のさなかに津波を恐れながらテトリスをやりつつご近所さんたちが避難する用のボートをつくっているような状態だ。
 何をやっているかわからないだろう? 
 自分でも何をやっているのかわからない。ぼうぼうに燃えていることだけは伝わるだろうか。
 
 機密情報なので誰にも愚痴を言えないのが輪をかけてツラい。社会んちゅの愚痴はすぐ機密情報に抵触してしまうのだ。
 唯一愚痴を言えるほど信頼している友人は、コミュニケーションがそれほど得意でない友人のなかでも屈指の聞き下手なのでしんどい。
 話を聞いてくれるだけでとてもとてもありがたいのだけれど。
 
 未訳文学を紹介する記事も止まってしまっていて不甲斐ない。BABELZINE Vol.2に向けた動きは水面下で着々と進んでいるので乞うご期待。
 
 ところで、会社に入ってもう2年がたつ。
 働いてわかったのは、この社会では無産階級である限り、無限に速度が上がっていくランニング・マシンに乗り続けるか、そこから降りて落ちぶれるかの二択しかないということだ。このランニング・マシンから逃れられるのは資産階級だけだ。新自由主義は最悪。革命を起こすしかない。
 
 

 

●ウマにハマっている

 時間がないのに、ご多分に漏れずウマにハマっている。
 2018年末ごろ、オタクとしてのプライドを失いほとんど声優ラジオしか聞かなくなっていた友人が、アニメの『ウマ娘 プリティーダービー』を強く推していて、「へっ、オタクはなんでもかんでも美少女にしやがって。しかも競争馬を美少女化するなんてイロモノが過ぎるだろ」と思ったのを覚えている。
 その友人が「ホラ、面白いって言ったでしょ」とドヤ顔しながら言ってくる姿が脳裏にありありと浮かぶので、表立ってハマったとは全然言っていない。が、見事にハマって今はうまぴょいしている。信頼している人が勧めてるものは素直に見聞きしてみるべきですね。
 
 「ソシャゲってやり込もうと思うと時間も金もかかるし最悪」とか思いつつ、めちゃくちゃ楽しんでいるのだから始末に負えない。でも、すごく出来のいいゲーム。ストーリーを楽しむだけなら無課金で十分なのがありがたい。
 
 
 アニメも一期まで見た。
 最終回は余計だったんじゃないの、と思わなくもないけれど、サイレンススズカの話は素晴らしい。
 サイレンススズカの名前はウマにハマってから初めて知ったのだけれども、そんな自分でもサイレンススズカの最期のレースは涙なしには見られない。いわんや、当時の競馬ファンにとっては筆舌に尽くしがたい悲劇だったろう。
 孫引きになるが、騎乗していた武豊の著書から、20年経っても癒えない傷がうかがえる。
 
 サイレンススズカとの思い出は、たくさんあります。語るべきことも、まだ、まだ、あります。でも、今もまだ、その傷口は膿んでいて、瘡蓋をはがすと、血が噴き出してきます。忘れることは生涯ないと思いますが、いつか……そう、いつか……傷が癒え、瘡蓋を剥がしても血がにじむ程度になることがあったら、そのときは、彼の話をしたいと思います。
 
 武豊『名馬たちに教わったこと ~勝負師の極意III~』(2018)

 

 
 しかし、フィクションでなら、あの瞬間に閉ざされたサイレンススズカの「続き」を描くことができる。サイレンススズカを、復帰レースに出走させてやることができる。
 癒えない傷を癒えないまま語り直すことは、文学の持つ基本的かつ大切な側面だと思う。嘘でしか語れないものがあるから、我々は小説を読むし、映画やアニメを観る。あまりにも強い悲しみや怒りは、通常のやり方では語ることができない。通常のやり方では語れないものを語ることができるのが、物語だと思う。
 もし、「ウマ娘」で描かれた物語が、「ウマ娘」ではなく、「競走馬」の話であったら、この話を描くことはできなかっただろう。あまり指摘されることはないんじゃないかと思うけれど、「ウマ娘」は、競走馬を美少女化することによって、通常のやり方では語れないものを語ることに成功していると思う。これが、ウマ娘が単なる「イロモノ」で終わっていない一つの理由だろう。もちろん、ことに美少女じゃなくてもよかったとは思うが。
 でも、『ウマ娘 プリティーダービー』1期 第7話以降は、競走馬の物語としてのままでは絶対に成り立たなかったはずなのだ。
 
 武豊は、「ウマ娘」の物語については一切語っていないと思うが、彼が「ウマ娘」公式のプロモーターを務めているのは、この語り直しが成功している一つの証左だと思う。
 
 そんなこんなで、ウマのゲーム・アニメは、実際の競馬にも興味が湧いてきてしまうので沼が深い。
 競馬は、配合に配合を重ねて脚が早いことにだけ長けたウマを作っていく野蛮な競技だと思っていたけど、調べていくとなかなか奥深い世界だ。今でも野蛮だとは思っているけれども、しかし、野蛮の一言で切り捨てられないものがある。
 なにしろ、サラブレッドの美しさは多少の違和感を封じ込めてしまう強烈な説得力を持っている。この美しさのためならば、いろいろな犠牲があってもいいんじゃないかと思えてしまうほどに。それほど、美しいものが見たい、強いもの・速いものが見たい、という人間の欲求は強い。
 しかし、その美しさが、多くのウマの屍の上に築かれているのも確かなのだ。
 
 つい先日、みんな大好きなブログ「名馬であれば馬のうち」が、ウマを育てることの残酷さにスポットを当てた記事を書いていた。オススメの記事です。