雑記04:FOMO

 

 

 ここ最近文章を書いて公開したい欲がすごく、連日ブログを更新している。

 正直人に文章を公開するのはかなり恥ずかしい面もあるが、もうヤケクソである。ええいままよ。

 

 

○バブルへの憧憬

 なんか最近の日本はバブルへのあこがれがあるように思う。2017年はとくにそれを感じた年だった。 
 まず、一部でファッションの1980年代回帰があった。レディーズファッションで眉太め口紅赤めが流行ったり。
 これはファッション・ブームのサイクルもあるかもしれない。ただ、バブリーなものはそれだけじゃなかった。芸能界ではブルゾンちえみや、もっとあからさまに平野ノラのようなバブル期を彷彿とさせるようなキャラクターがブレイクした。それから、大阪府登美丘高校のバブリーダンス。こうしてみると、バブル期へ回帰というのは確かにあるようだ。 

 

www.youtube.com


 バブル崩壊後、四半世紀がたって、贅沢をしてみたい気持ち、バブルへ回帰したい気持ちが噴き出してきているのだろうか。 おそらく40代以降の世代にとっては景気が最高に良かった時代への懐かしさ、それ以下の世代には憧れがあるのだろう。下のリンクで、博報堂の人が若者のバブルブームについて「憧れとネタ」「ちゃかしと憧れ」と言っているのは正鵠を射ているんじゃないかと思う。
 

www.nhk.or.jp
下のリンクは、量的調査としてはダメだけど、質的な調査としてはおもしろい。

www.oricon.co.jp
 この流行は、アベノミクスが(大企業に関しては)一定の成果を上げたこと(実質賃金の大幅減などは置いておくとして)や、価格が急上昇したビットコインの流行ともつぶさに連動しているようにも思える。
 バブル回帰現象はすごく面白く、楽しいものだとは思うが、歴史学徒としてはやはり一抹の不安がある。過去を「悪いことばかりじゃなかった」と振り返ると、どんなに悪い時代も正当化されてしまうのだ。例えば、ヒトラー政権が1929年の世界恐慌の際、世界で一番早い景気回復を遂げて完全雇用を達成した話は有名だ。ヒトラー政権も「悪いことばかりじゃなかった」のだ。バブル時代についても、もちろん悪いことばかりではなかっただろう。しかし、バブル期の浮利を追った狂躁が、その後の日本を「失われた20年」に追いやる一因となったのは確かだ。

 

 

○FOMO

 FOMOというスラング英語圏にあることを知った。fear of missing outの略で、「取り残されることへの恐れ」とか「置いていかれることへの恐れ」くらいの意味らしい。日本語でFOMOを一語で表すようなものは無いと思うが、かなり便利そうなのでバズるのも頷ける。
 思うに、今これだけソシャゲや仮想通貨が流行しているのも、このFOMOによるところが大きいんじゃないだろうか。周りの人間がやっていなければ、ソシャゲも仮想通貨も、きっとほとんどの人がやらないだろう。そして「周りの人」はSNSによって拡大される。
 FOMOで行動するのは弊害もあるだろうが、きっとかなり楽しいのだ。楽しいだけじゃなく、周りの人たちと同じ流れに乗っているという安心感もある。
 だからこそ、周りに踊らされない落ち着きと自信がほしい。
 大事なものはそんなんじゃないと言っていきたいと思う。

www.wired.co.uk

雑記03:バブルの話とか国家の話とか

○三たび仮想通貨の話

 また今回も仮想通貨の話なのだが。ここまで執拗に仮想通貨の話をするのは、周囲の投機にあまり興味がなさそうだった人たちがどんどん仮想通貨に参入していることによるところが大きい。個人的に悲しいのは、仮想通貨に参入している人のほとんどが表面的な価格の動向に気をとられていて、本質的な側面には全然興味がなさそうというところ(友人でそうじゃない人がいたらゴメンナサイ)。

 いろいろと仮想通貨についてのサイトを見て(今回は英語のページもいくつか見た)、やはり仮想通貨の値段がこれだけ高くあり続けるのは不自然だし、早い段階で暴落するんじゃないか、と思った。バブルの崩壊は、ビットコイン全体の40パーセントを保有していると言われている1000人のようなスーパーリッチたちによるインサイダー取引がきっかけになるかもしれない。あるいは、中国が規制に乗り出したときに価格が一時下がったように、各国が一斉に規制に働くのがきっかけかもしれない。各国が規制に乗り出そうとするのがきっかけになるかもしれない。あるいはもっと些細なきかっけから、みんなが「国が管理する貨幣の方が信用できる」と気づくのが引き金になるかもしれない。
 いずれにせよ、前にも述べた様に、ブロックチェーンのシステムは本質的に国家に対立するものだ。だから、仮想通貨が「国が管理する貨幣」よりも有力になりそうな兆しがあったときに、国が規制しないとは自分には考えにくい。個人的には、まだ国家への信頼が仮想通貨で大きく揺らぐほど、世界は進んでいないと思う。バブルが崩壊した後、仮想通貨は少しずつ有力になっていき、それとともに少しずつ国家の権力を奪っていくのだと思う。
 主権国家の役割が相対的に低下しているという議論は冷戦終結以後あたりから盛んになされている。それでも今なお、国家は他にはない強大な影響力を及ぼすものとして存在している。IS(イスラム国)が宗教を中心性とする共同体として、主権国家というナショナリズムを中心性とする「想像の共同体」に対立する形で現れたときは、いよいよ近代的主権国家も賞味期限が来たかと思ったが、そのISもほとんど崩壊し、近代的な「国家」に代わるものにはなりえなかった。やはり、まだまだ国家は比肩するものがないほどに強い。そう考えると、仮想通貨がいきなり国を基盤とする貨幣にとって代わられるとは思えない。
 しかし、国家の役割がどんどん低下していくのは確実だろうし、ブロックチェーンもその一つの流れなのは間違いない。そうして国家の役割が低下したポストモダン的時代を「新しい中世」と呼ぶことがある。定義はいろいろだが、つまり、中世のように有力な「主体」が多様に存在する世界になるということだ。中世は近代的な意味での国家は存在せず、王や諸侯・貴族、教会や修道院など、支配的な「主体」が多様に存在する、分散型・非中央集権型の社会だった。それが近世の絶対王政を経て、近代のいわゆる「領域国民国家」によって一元的な中央集権が完成する。それがポストモダンになると、グローバリセイションを通じ、多国籍企業などによって有力な「主体」が分散していく世界を「新しい中世」と呼ぶのだそうだ。
 もし、これから世界が新中世的な様相を深めるのならば、「国家」というローカルがだんだんと消えていくのならば、それはやはり飽くなき「闘争領域の拡大」なんじゃないかと思わざるを得ない。それはナショナリズム以外の中心性が乏しく、地理的にアメリカと中国という大国に挟まれた日本にとっては非常に厳しい時代なんじゃないかと思うのだ。
 ビットコインの話をするつもりだったのにほとんど国家の話になってしまった。
 仮想通貨系の記事で分かりやすくおもしろかったのは下の二つ。代わりにそれ読んで。

ビットコインバブルは崩壊するのか?政府の規制とインターネットバブルの歴史から未来展望を考えてみる

If the bitcoin bubble bursts, this is what will happen next | WIRED UK


 ところで、「仮想通貨」は英語だとcryptocurrency(暗号通貨)だそうだ。てっきりvirtual currencyなのだとばかり。日本語で「暗号通貨」としてしまうと、怪しい雰囲気になってしまうからだろうか。では最初に「仮想通貨」と訳したのは誰なのだろうか、そして、どういう意図から「暗号」を「仮想」にしたのだろうか? 訳した人にとって「暗号通貨」では不都合な点があったのだろうか? これを調べるだけでもおもしろそう。

 


○『ケシカスくん』の消しゴムバブル回

 ビットコインはバブルなのか的な記事を読んでいて、いくつか17世紀チューリップ・バブルと比較されているものがあった。過去にオランダでは、チューリップの球根一つで家が買えるほどのバブルになった話。
 これを読んでいて思い出したのが、昔マンガ『ケシカスくん』で読んだ消しゴムバブル回。ケシカスくんが街じゅうの消しゴムを買い占めることで、街から消しゴムがなくなるんじゃないかという不安から消しゴムの価格が急上昇。一時は消しゴム1個で家が買えるくらいの金額にまで上がって、ケシカスくんの悪だくみは成功したかに思われたが、ささいなきっかけから、みんなが馬鹿らしいと気付いてバブルが崩壊。ケシカスくんは大量の損失を抱えて終わる。という感じの話だったと思う。面白かったのは、消しゴムバブル崩壊の原因が、効果で貴重な消しゴムを普通に使っている人を見て、自体のおかしさにみんなが気づくというものだったこと。
 これを読んだ当時(弟のコロコロを読んでいた時期だから小学校中学年くらい?)は、こんなことあるわけない、と思っていたが、歴史上は実際に起きたことなのだとは、高校で世界史を勉強するまでわからなかった。

2017年に観て良かった映画まとめ

 

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 2017年はいろいろなことを始めてみたものの、実りは少なく、結果的にじたばたしてたら終わっていたような一年でした。
 2018年は成果を実感できる年にしたいですね。


 もう年が明けちゃいましたが、昨年観て良かった映画(新作・旧作両方)をまとめてみようと思います。
 昨年観た映画は新旧合わせて77本。相変わらず、観てない人に比べたら大分観てるけど、観てる人に比べたら全然観てないくらいの本数。

 順番は観たのが早い順です。


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○新作


 ・『お嬢さん』
 『少女革命ウテナ』っぽいという前評判で観に行くというミーハーなことをしたが、素晴らしい快作だった。男性による抑圧・支配を、女二人が乗り越えていくのは観ていて気持ちがいい。それに、映像がとても綺麗で、グイグイ引き込まれた。
 伏線を確認するために2回観たが、1回目にちょっと冗長に感じたシーンもちゃんと面白かった。
 ウテナかどうかは各自判断ということで。

 
 ・『メッセージ』
 テッド・チャンの「あなたの人生の物語」の映画化ということで期待度が高く、同時にどんなものになるのかという不安はあったこ、チャンの短編の映画化としてはこれ以上ない出来だったんじゃなかと思う。語りたいことはサークルの会誌座談会企画でだいたい語ったけど、原作にない要素もご愛敬で良かった。麻雀とか。
 今年は『複製された男』『ブレードランナー 2049』を観て、ヴィルヌーヴ作品は自分に合ってないんじゃないかと少し思ったが、この映画は別。静的な雰囲気が作品に非常に合っていると思う。


 ・『ムーンライト』
 『お嬢さん』に続いて三部構成のLGBT映画。

 とは言うものの、この映画をLGBT映画として括るのにはちょっと違和感がある。というのも、この作品は親からのネグレクト、麻薬、貧困、いじめなどの要素が絡み合っているからだ。最初に観たとき、ゲイの恋愛がセンチメンタルすぎ、美化されすぎて描かれているように思えたのだ。だから当初の自分の評価は「恋愛要素以外は素晴らしい」というものだった。ただ、この批評(元ゲイ雑誌編集長が語る映画「ムーンライト」これ本当に”ゲイ”映画なの? | Letibee Life)を読んで、考えが変わった。つまり主人公は(辞書的な意味での)ゲイじゃないんじゃないか、ということ。前評判で「主人公はゲイ」という思い込みをしていたせいで、穿った見方をしてしまっていた可能性があったと気付くことができた。そう考えると、この映画のラストは胸を打つ素晴らしいものだと思う。やはりセンチメンタルすぎるところはあると思うが。
 それから、黒人男性をここまで美しく撮った映画は観たことがない。それだけでももう一度観たくなる。
 

・『20センチュリー・ウーマン
 おしゃれで楽しい映画。エル・ファニングが可愛い。
 舞台となる1970年代後半のキラキラして詰め込んだような感じ。作品の魅力をノスタルジーに寄せすぎているような気がしなくもないけど、でもその郷愁が良いのだ。少年の、母との接し方を通した成長物語としても良いものだった。  

 
 ・『ベイビー・ドライバー
 今年の新作の中で、一番観ていて楽しい映画だった。

 挿入曲に合わせて炸裂するカー・アクション。細かいところまで凝って演出されていて2時間全く飽きる事がない。エドガー・ライト作品では、他に『ショーン・オブ・ザ・デッド』の"Don't Stop Me Now"に合わせてゾンビを叩きまくるシーンが好きだが、あれが全編に渡って続いている感じ。個人的には、主人公のイヤホンが外されて音楽が止まり、グッとシリアスになる瞬間が好き。

 

みんな『ショーン・オブ・ザ・デッド』も観てくれwww.youtube.com

 

○旧作

 

・『ファンタスティックMr.FOX
 ロアルド・ダール原作のアニメ作品。有名俳優たちが声をあてる動物たちがキュート。
 『ライフ・アクアンティック』、『天才マックスの世界』、『グランド・ブタペスト・ホテル』と観てきて大好きになったウェス・アンダーソン作品だが、その中でもこの『ファンタスティックMr.FOX』は特に好き。きっと、動物たちのおもちゃのような世界が、アンダーソンの作風にバッチリハマっているのだろう。柳下毅一郎は、アンダーソンは「人間を人形のように撮」るが、これは「人形を人間のように撮った映画」と評していた。
 観ていて本当に楽しい、心地よい気分になれる映画。

 


 ・『オールド・ボーイ』(2003)
 『お嬢さん』が良かったので観たパク・チャヌク作品。

 すさまじい大傑作で、オールタイムベスト級だった。タランティーノが絶賛するのも良くわかる。

 残酷な復讐譚で、後味は決して良いものではないが、衝撃的でインパクトの強い映画。前情報が全然ないほうが楽しめると思うので、このくらいで。
 

 ・『恋人たち』(2015)
 『ハッシュ!』『ぐるりのこと』を観て大好きになった橋口亮輔監督作品だが、本作はさらに頭抜けて素晴らしかった。

 監督が「飲み込めない想いを飲みこみながら生きている人が、この日本にどれだけいるのだろう。今の日本が抱えていること、そして“人間の感情”をちゃんと描きたい」と語っているように、主流の映画では描かれない感情を掬い取ってくれている映画だと思う。世界の理不尽にぶち当たって、それを解決することができず、ただもがきながら生き続ける人間たちの泥臭さ。
 メインキャスト3人はオーディションで選ばれた新人俳優ということだが、その新人の良さ、“リアル”な人間の持つ深みみたいなものを最大限に引き出した、奇跡のような作品だと思う。
  

 ・『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(2015)
 これもとんでもない傑作だった。それと、なんだこの邦題は、詐欺じゃねえか。

 後半の寂寥感が素晴らしい。巨大なシステムの欠陥と崩壊を悟った人たちの絶望が、トリックスターを演じるライアン・ゴズリングのゲスさで際立っている。ライアン・ゴズリングには『ラ・ラ・ランド』とかよりも、こういうゲスの役をもっとやってほしい!
 みんな言っているけど、住宅バブルを確かめに行くシーンが、何とも言えず素晴らしい。


 ・『悪魔のいけにえ』(1974)
 あんまりスプラッタな感じのホラー映画は好きじゃないのだが、この作品は別格だった。ほとんどギャグみたいなB級ホラー映画のはずなのに、ちゃんと怖いし、息を飲むほど美しい。そしてあのラストシーンの完璧さ。みんなに観てほしい傑作。

 
 ・『グッバイ・レーニン!』(2004)
 自分はこういう映画に弱いなあと。

 自分の中では今年観た『20センチュリー・ウーマン』と対を成している物語。チャキチャキ系の母親を通して、主人公の男が成長する話。コメディタッチであるおかげで、主人公の母親への愛がより際立っているように思った。


 ・『狂い咲き・サンダーロード』(1980)
 最高のカルト映画。衝撃的。とても力強い。

 近未来の日本を舞台にした暴走族もので、族同士の抗争が描かれるのかと思いきや、主人公がいきなり右翼集団に入隊してシゴかれる、など全く予想のつかない展開の数々。


 ・『巨人と玩具』(1958)
 初の増村保造作品だったが、こんなにコミカルで楽しい映画を作る人とは知らなかった。

 息もつかせぬ怒濤の展開。巨大なシステムである資本主義の中に囚われてしまった人間の悲劇・喜劇というのは、ありきたりな題材ではあると思うのだけれども、それが巧みに演出されていて、旧さを感じさせない。個人的にはとても新鮮に思えたのだ。大仰で芝居がかったセリフ、俳優たちのまくし立てるような早口の棒読み、マンガのようなスピーディな展開、これらが「巨人」たるシステムの中で踊る「玩具」と絶妙にマッチしているように思う。

 

 

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』レビュー

 

 といっても、前回サークルの会誌で、「SF映画の原作を読む!」という企画用に書いたもののなのですが。

 カズオ・イシグロノーベル賞受賞記念に、編集長の許可を取ってここにも貼っておきます。

 会誌用なのでブログとは語り口がちょっと違うかも。

 

 なお、京大SF研は今年の冬コミも参加します。三日目東メ02a。

 僕は前田司郎『夏の水の半魚人』のレビューや、某翻訳をしたりしました。前田司郎は今回の芥川賞候補になりましたね。タイムリー。

 

https://twitter.com/KUSFA/status/945588276794089472

 

https://twitter.com/KUhttps://twitter.com/KUSFA/status/945588276794089472SFA/status/945588276794089472

 

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 『わたしを離さないで』はSF的設定を用いて、大きな運命の中に生きる人々を描いた傑作だ。舞台は近未来のイギリス、全寮制の施設・ヘールシャム。抑制の利いた文体でそこに暮らす人々を描いているようだが、その背後には奇妙な違和感がある。一見平穏に思える施設の生活は、どこかおかしい。読者はそうしたもどかしさを感じて読み進めることになるが、その違和感と謎にいつのまにか引き込まれてしまう。そして、読者は次第に明かされる真実に戦慄する。

 二〇一四年には蜷川幸雄によって舞台化され、昨年にはTBS系でテレビドラマ化されるなど、日本でもポピュラーな本作だが、未読の方でまだ本書の「真実」を知らないのならば幸運だ。誰かにうっかりネタバラシされる前に読まれるのをおすすめしたい。ページをめくるにつれ、薄皮が一枚ずつはがれていくように「違和感」の正体が明かされていく独特の手触りは、設定を知らない初読時にしか得られない妙味だ。解説で柴田元幸が述べているように、「予備知識は少なければ少ないほどよい」というのは確かにそうだろう。しかし、本作の魅力を伝えるため、もう少しだけ付け足そう。

 本作を無理にSFのジャンルに当てはめるなら近未来ディストピアSFとなるだろうが、ディストピア作品としてこの作品を語るのは的外れだろう。本作の主眼は社会にあるのではなく、社会のなかで生きる何ものにもなれない人間たちだ。ディストピアとしての社会は通奏低音として作品を貫いてはいるが、あくまで焦点はそこに生きる人間たちだ。イシグロは実際に読売新聞によるインタビューで「私は(……)極度にSF的な事柄は用心深く排しました」。それは「人間すべてに共通する状況下にクローン人間を描くことで、自分と異なる人たちの話だと思って読むうち、これは自分自身に当てはまる話なんだと気づいてほしかったから」と述べている[i]。主人公たちは不条理な社会を正そうとはせず、そのなかでどうにか運命に逆らおうとあがく。淡々と描かれるその姿は、SFの枠内を越えて、現実を生きるわれわれの姿に重なっていく。

 本作は二〇一〇年にマーク・ロマネクによって映画化された。おおむね原作に忠実な映画化だが、時間の都合か、ラスト付近のある重要なシーンに関わる要素が省略されてしまっている。しかし、原作の静かな語りをそのままに伝えるような、静謐で落ち着いた画面構成が美しい傑作と言えるだろう。

 

[i] 2006.06.12 読売新聞   「わたしを離さないで」刊行 カズオ・イシグロ氏に聞く            東京朝刊          文化   13     

 

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雑記02:バーチャル何とかの話とか

 

 前回の記事を書いて、普段人に話してもガン無視されるであろうアレコレを殴り書く楽しさに気がついてしまった。

 

 クリスマスですね。

 

 個人的に、クリスマスが近くなると、消費に駆り立てられている感じ、欲望を強制的に作らされている感覚があってモヤモヤしますね。嫌いじゃないんだけど。

 

 ただ、クリスマスソングを聞くのは大好きで、今日も朝から井上陽水奥田民生の「クリスマス・バニラシェイク」を聞いて、バニラシェイクを飲みたくなったりしていた。(バニラシェイクは無いのでバニラ味のプロテインを飲んだ)

 

www.youtube.com

 

 クリスマスに比べたら26日から30日くらいの、年末の微妙な時期の方が好きだ。

 12月いっぱいかけたクリスマスムードは、26日になると一夜にして街から消え去って、新年に向けてそわそわしながら、みんなが仕事納めをしたりして年越しの準備をする期間。こういう日々に一緒に過ごせる人たちを大事にしたいような気がする。

 

 

〇続・仮想通貨

 今日までにはだいぶ回復したようだけど、一昨日の夕方には仮想通貨が軒並み暴落したようだ。仮想通貨の価格がどこで安定するのか、それとも安定せずに崩壊するのか気になる。

 前回の記事でもちょっと言ったように、わかりにくいと言われているビットコインも、やはり“金本位制と労働価値説をバーチャル上で組み合わせたもの”と考えると、すっきり理解できるんじゃないかと思う。

 つまり、全く新しいように見える仮想通貨が乗っかっている理論は、けっこう古典的なものなんじゃないか、ということ。よく言われている「管理者がいない」という側面も、金本位制的な一側面とすると納得がいく。

 ちょっと検索してみたけど、ビットコイン金本位制+労働価値説と言っている人はけっこういるみたい。これとか。ただ、ビットコインの流行り方に比べて、その理論面を説明しているものはかなり少ないように感じた。きっと人気がないのだろう。学部時代に一般教養で受けた経済の授業で、先生が「現在の経済学のメインストリームは貨幣を扱うのが苦手」と言っていたのを覚えている。英語とかで検索すれば得られる情報の量も質も変わってくるんだろうけど、そこまでの気力はなかった。

  ただし、仮想通貨が金本位制のように崩壊するのかは、誰にもわからないだろう。上のurlの人は、こんな古典的な理論のものが現代社会で通用するわけがないと言っていたけど。やはり仮想のものである点で、決定的に新しいわけだし。

 

 

〇バーチャルYoutuber

 流行ってますね。

 けっこう視聴しちゃったなあと思っていたら、サークルの他の人たちの方がはるかにたくさん知っててびっくりした。

 キズナアイはもちろん、ミライアカリ、バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん、そして輝夜月の人気の上がり方がすさまじい。

 個人的に一番注目しているのはバーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん。

 オタクのおじさん(と言っても20~30代前半くらいだと思うけど)が、バーチャル狐娘になることで、みんなから可愛い可愛いと絶賛されているのがおもしろい。実際可愛い。本人もtwitterで「人間の認知への挑戦」だと言っている。

 

www.youtube.com

 バーチャルYoutuberの文脈で、VRチャットなるものがあるらしいということも知った。

 VR空間で世界中の人と身体性を伴って繋がれるというのは、メチャクチャ魅力的。VRやARがこのまま進んでいけば、これまで以上に多くの人にとって、ヴァーチャル・リアリティが現実と同じくらいの価値を持つようになるはず。

 

 人間の身体性がバーチャル空間に延長されるようになれば、人の在り方みたいなものも変わってくるだろうと思う。

 それから、ヴァーチャル・リアリティの発達は、その空間上では人の想像が現実に優先されるという意味において、観念論の復活だと思わずにはいられない。そういう観点で19~20世紀の観念論と唯物論のせめぎ合いを見るとおもしろい。ヴァーチャルな世界ではどれだけ人間中心的でも良いのだ。

 

 

雑記01:仮想通貨の話とか

 

もうちょっと雑にブログを動かしたい気がしてきたので、メモ代わりの雑記。

今週は研究に進展があったので嬉しい。火曜の夕方以降は、自分のテンションが少し高くてキモかったかも。

 ただ、そのぶん今月は研究のための文章ばかり読んでいて、趣味の本が全然読めなかった。年末は、おもしろSFでも読んでゆっくりしたい。 

 

ビットコインの話

 ここ数か月ビットコインの話題をよく聞くし、自分も気になっている。ただそれは、投機対象としてではなくて、これから世の中のお金がどうなっていくのかについての興味。今現在ビットコインはほとんど使用はされていないようだけど、これが普通に使用されるようになって、貨幣が電子上のものになり、国家が管理するものではなくなったらどうなるのかが気になる。仮想通貨が当たり前になったとしたら、それはやはり名目貨幣説の勝利なのだろうか。

 ドルせよ日本円にせよ国家が価値を保証してくれているわけで、ビットコインにはそうした価値を保証してくれる権威がない。電子マネーが利用できるようになれば非常に便利なのだろうけど、それは直ちに「国民国家」の弱体化に繋がるだろうと思う。グローバル化と言えば聞こえは良いけど、国家の通貨管理が特権的でなくなるのは、国の在り方がかなり変わってくる可能性もあるんじゃないかと思う。

(いずれにせよ国家という「想像の共同体」がゆるやかに解体されていく流れは止められないだろうけど、それがどの程度のペースで進むかはわからない。以外と差し迫っているかもしれないし、100年スパンの時間がかかるのかもしれない。中田考なんかは「領域国民国家」を「リヴァイアサン」として諸悪の根源としているけれど、際限なき競争が生まれてしまうようにも思う。国家なき競争が生まれたら、「お上」以外の連帯が弱い日本人は辛そうという印象)

 ところで、仮想通貨は採掘(マインング)を価値の根源としているようだけれども、自分にはこれが、マルクス経済学的な労働価値説のヴァーチャルな復活のようにも思える。マルクスは、価値を生み出す労働の本質を筋肉労働と考えたわけだけど、そうした筋肉労働のようなものが電子上で行われているのが面白い。

 実際にビットコイン金本位制+労働価値説で理解しようとする論調もあるみたい。

 

  個人的には、何か世界に付加価値を与えているという実感の無い金儲けには手を出さないと決めているので、マネーゲーム的になっている今のビットコインはやらないようにしている。

 このポリシーは株式についてもそうで、「この企業を支援してウィンウィンの関係を築きたい」と考えて株をやるのはアリだけど、マネーゲームにしちゃうのは止めておこうと思っている。

 しかし、中国の例をのように、電子マネーが当たり前になる時代はすぐそこまで来ているようにも思うし、その国家を媒介としない形態が普通になるのも、案外簡単に実現しちゃうんじゃないかという気もする。

藤井四段がデビューしてからの将棋界

今日、藤井四段からデビュー以来無敗の29連勝を達成して、連勝記録歴代単独一位になった。

www.sankei.com

 

前人未踏の素晴らしい記録だ。

 

しかし、将棋ファンとして個人的に、この記録はつまらない。

藤井四段がデビューしてから、将棋界はつまらくてしょうがない。

 

 

この先10年は、将棋界は藤井聡太四段の独り舞台だろう。

競馬のレースにF-1カーが参戦しているようなものだ。

藤井聡太に比肩するライバルは現れず、将棋は「藤井が最後に勝つゲーム」になるだろう。

 

もちろん、今まであまり興味を持っていなかった人たちが、将棋に関心をもってくれるのは、一人のファンとしてとてもうれしい。

しかし、この藤井独り勝ちの展開は、将棋界の勝負を楽しみたいファンにとってはおもしろくない展開なのだ。

 

つまり、単純にライバルがいない。

なぜライバルが現れえないのか、藤井に対抗できる棋士が現れないかは、AI将棋の事情とも関連させて次の記事で書くとして、ここでは将棋界がつまらなくなった理由を話したい。

 

羽生にはたくさんのライバルがいた。

いわゆる「羽生世代」と呼ばれる棋士たちである。

まずは森内俊之九段

羽生と同学年で、小学生のときに将棋大会の決勝で羽生と戦って破れ、羽生に2年遅れてプロになるも、羽生よりも先に「永世名人」になった大棋士だ。

羽生と森内の間には数々の熱いドラマがある。

あるいは『聖の青春』で有名な夭折の天才棋士、故村山聖九段。

ほかにも佐藤康光九段、藤井猛九段、深浦康市九段、郷田真隆九段、丸山忠久九段など、羽生世代には名だたる大棋士たちがいる。

この羽生世代が40代半ばに差し掛かり、衰えが見え始め、次に棋界の覇権を握るのは誰なのかと群雄割拠の時代になっていたのが、ここ最近の将棋界だった。

羽生世代に対して、何人もの個性ある若手棋士が対抗して争っている将棋界が好きだった。

 

そこに颯爽と現れたのが藤井聡太だった。

その後の活躍は周知の通りである。

 

デビュー以来無敗の29連勝は凄い。

凄すぎる。

しかも、その多くが圧勝であり、しかもデビュー以来もの凄いスピードでさらなる成長をとげている。

これから、群雄割拠だった将棋界に君臨し、他の20代の若手棋士たちを足元にも寄せ付けないほど蹂躙していくのは、ほぼ間違いないだろう。

いつかは連勝が止まるにせよ、このまま行けば勝率9割越えになっても不思議ではない(年度勝率の歴代記録は0.8545)。

おそらく最年少タイトルも取るだろう。

今年タイトル戦に昇格した叡王戦を含めた8大タイトルを総なめにし、羽生善治を越えて史上初の八冠制覇を達成するのも時間の問題のように思われる。

 

そして藤井四段のライバルは少なくとも数年は現れない。

藤井四段が若すぎるのだ。

今日対局した増田四段も、16歳でプロ入りした19歳の若い天才だが、それでも藤井四段より5歳も年長だ。

それに、奨励会(プロになる前の育成会のようなもの)の二段以上に、藤井四段と同世代の棋士がいないのだ。

初段以上こそ藤井四段と同世代がいるが、その世代が四段になってプロになるのは早くても18歳前後だろう。(20歳までにプロ入りできれば、プロの中でも相当に優秀な方なのだが。)

 

つまり、あと10年くらいは、藤井天下の牙城に迫りうる棋士が現れない可能性が高い。

それこそ、羽生三冠(46)に対する渡辺竜王(32)くらいの年齢差になることもありえる。

 

それまでは、藤井聡太一人の天下だろう。

あと10年間はずっと、将棋は「藤井が最後に勝つゲーム」になる。

「藤井が最後に勝つゲーム」を観てファンは楽しいだろうか。

僕が見たいのは、どちらが勝つかわからないギリギリの攻防なのだ。

そして、どの若手棋士も、努力次第で平等にトップに立てる可能性を持った世界を見たかったのだ。

「特別」がただ一人にしか許されない世界に、凡人の自分はどんなロマンを感じたらいいのだろうか。

 

藤井四段がこれ以上勝ち続けるなら、将棋界は、僕にとってどんどんつまらないものになっていくだろう。

 

 

そうならないためにも、どうにか他の棋士に頑張ってもらいたい。