『シン・ゴジラ』感想
『シン・ゴジラ』を初日に観てきた。
すごく良かった……。
まだ観ていない人はできるだけ早く観ることをおすすめします。
ネタバレされたくなければ、ってんじゃなくて、なんだろう。この映画の手の切れるような鮮やかさをあじわうには——ほとばしる果汁を味わうには、出きるだけ早く劇場に駆けつけよ、と直感が叫んでいる。言説の指紋でガラスが曇る前に。
— 飛浩隆 (@Anna_Kaski) 2016年7月29日
正直、そこまで期待していなかったので、ガツンと頭をやられた気分。
同時に観ていてとても疲れる映画でもあった。
観るにあたって気になっていたのは二点。
①ハリウッド版『GODZILLA』とどう差別化したのか
もちろん、ハリウッド版は特撮の観点からしたら良くないところも多かったはずだし、そこはいくらでも改善できるはずではあるのだけれど、そこを改善して喜べるのは一部の特撮オタクだけなんじゃないかとも思っていた。
特にフルCGで撮るとなると、どうしても予算の差が出てしまいがちになると思います。キャストの数がものすごく多いという前情報もあって、ゴジラのCGに回す予算がどれだけあるのかは不安でした。
ストーリーにしても、普通に作ったのではハリウッド映画の強力なテンプレートに力負けしてしまうんじゃないかという懸念もあった。
そのあたりをどう対抗した作品になっているのかは、怖くもあったけど、同時にものすごく楽しみだった。
②放射線の扱いをどうするのか
ゴジラはやっぱり放射能怪獣なわけで、そのゴジラを3.11の後に登場させることは、どうしても作り手・観客ともに原発事故を意識せざるを得ないはず。その処理をどうしているのか気になっていた。
結論から言うと、①ハリウッド版よりもずっと良いと思ったし、②相当に3.11を意識した作品だった。
以下めっちゃネタバレします。
おじさんたちが会議を重ねて策を練り、強大なものに立ち向かっていく構図にももちろん痺れたが、ここでは事前に気になっていた上の二点に関してだけ。
今書ける範囲の感想だけ書きます。もう一回見直して、考えをまとめてから新しく感想を書きたいけど、そのときはもう語りつくされてるんだろうなあ。
①ハリウッド版(ギャレス・エドワーズ版)との差別化
庵野はエメリッヒ版をかなり意識して作ったんだろうと思った。『シン・ゴジラ』はギャレス版への回答の意味合いが大きいように思った。
・CG
さすがにCGの部分はハリウッド版に比べて見劣りした。ただ、それが気にならないくらい、今回のゴジラは怖いし、迫力があった。
・ゴジラ
過去最強のゴジラだったんじゃないだろうか。
ミサイルなどの兵器がほとんど効かないのはもちろんのこと、放射熱線の破壊力と範囲が過去のゴジラの比ではなかった。背中から無数のレーザー出すわ尻尾からも出すわ近づく物体はオートで迎撃するわという無敵っぷり。いや~、怖いです
劇中では、人間を越えた究極生物として扱われている。一個体として進化していき、さらに無性生殖で無限に増殖する可能性も示唆されていた。
SEX必要なし
今回のゴジラは、見た目というか体型こそ日本の昔ながらのゴジラの形に近かったが、上に上げたようなスペックと、初めて日本に上陸したときのトカゲのような第一形態から、今までのゴジラとは一線を画していると思う。
ギャレゴジは見た目こそ大きくずんぐりしていて花山薫のようだったが、基本のスペックは初代ゴジラに忠実だった。
『シン・ゴジラ』は今までのゴジラの範疇を大きく逸脱しているように思う。
ハリウッドゴジラ(ギャレゴジ)
花山薫。ファイティングスタイル含めハリウッドゴジラに似ている(気がする)
・構図
やはり特撮の長い歴史がある分、ハリウッド版よりずっと良かったと思う。
『GODZILLA』公開当時、周りの特撮ファンは、ゴジラに対して寄りの構図が多すぎる点に不満を漏らしていたが、『シン・ゴジラ』では引きと寄りの使い分けが巧みで、ゴジラのスケール感がかなり伝わった。体長はハリウッドゴジラの方が大きいはずだが、シン・ゴジラの方が大きく感じたくらいだ。
また『GODZILLA』は夜戦ばかりで何が起こっているのかわかりにくかったが、『シン・ゴジラ』はほとんどが昼戦だった。
・ストーリー
近代兵器が効かないゴジラを最終的には化学兵器で倒す構図は初代リスペクトなのかと思う。
超映画批評で、アメリカ映画なら「個」対ゴジラになるところを「集団」「組織」対ゴジラとして作られていると書かれていたのには、なるほどと思った。
・テーマ
『GODZILLA』のテーマは、ハリウッド流の家族愛が組み込まれてはいるものの、ほとんど初代『ゴジラ』と変わることはなかった。
『シン・ゴジラ』では、もちろんヒロシマ・ナガサキの原爆も意識はされているが、それ以上に3.11後の映画、震災映画の面が露骨に強調されている。焼きなおしではない、挑戦的なテーマを扱っていると思う。
②完全に震災を意識した3.11後の映画
『シン・ゴジラ』を観てぐったりと疲れてしまった理由は、この映画が3.11を強く意識して作られていること。
実際の震災のときに東京にいた身としては、かなり辛いものがあった。
ヤシマ作戦の音楽とか、無人在来線爆弾とか笑いどころはあったはずなのに、あまり笑えなかったくらい。
まず、第一形態のゴジラが初めて東京に上陸して川を遡行していくシーン。ゴジラによって遡っていく船と波で破壊されるシーンは、被災した人が見たら気分が悪くなるくらい津波を意識して作られている。フェイク・ドキュメンタリー風の手ぶれした個人撮影のようなシーンや、動画配信サイトやツイッターの画面も相まって、どうしても5年前のことを思い出してしまう。
そして首脳が青い防災服を着て会見するシーン。生で被災していない観客にとってはここが一番震災を思い出させられるかもしれない。
何より見知った風景が破壊されていくのには、胸に来るものがあった。東京タワー、国会議事堂、スカイツリーのようなシンボリックな建物が破壊されるであれば、その記号性からフィクションであることを意識できると思う。
ただ、今回壊されたのは銀座和光の時計塔や東京駅周辺のビル群であって、フィクションを明示する記号性はなかった。描かれていたのは、象徴としての首都壊滅ではなくて、事実としての東京の崩壊だった。
これは一緒に見た人に指摘されて気が付いたのだけれど、ゴジラの行動も震災と一部類似した段階を踏んでいる(ちょっと無理のある部分もあるけど)。
一回目の上陸では放射炎は吐かず、ただ街を踏みつぶして去っていく。これが震災だと地震+津波にあたるフェーズ。
そして、ゴジラが去ったあと、都内の放射線量が増加していることがわかる。そしてゴジラの再上陸。これが福島第二原発事故のフェーズ。
そしてゴジラが吐いた放射炎・レーザーによる首都の壊滅が、(実際には起きなかった)メルトダウンのフェーズ。
映像的にはゴジラが放射炎で『鬼神兵東京に現る』ばりに東京を壊滅させるシーンがクライマックスで、後は「ヤシオリ作戦」を、映像的には地味に、粛々と進めていくことになる。この後半が地味なのについては賛否両論あるだろうけど、震災を意識している以上、実際の対処というのは派手にはならないということでいいんじゃないかと思った。後半を映像的に派手にして終わらせるなら、それこそ実際に東京に核をを落とすしかないんじゃないか。それでは本作のテーマからは外れてしまう。
個人的には無人在来線爆弾で全て許した。
何にせよ、このテーマを持ち込むことで、ゴジラを現代で製作することの大きな意味を持たせることに成功していると思う。
単純な娯楽映画としては観られないくらいの、やりすぎなんじゃないかと思うところもあったが、個人的には製作サイドの踏み込みは素晴らしいと思った。
初日の朝一番に観ることができて本当に良かったと思える映画だった。
たぶんもう一回観る。